「否定された気」がしたときの、気持ちの取り扱い方

自分を知る/認める

実際に誰かから何か否定されたのかっていうと、全然そうじゃない。

けれども、人との会話の流れの中で、
なんとなく自分自身が否定されたように捉えてしまった。
今回は、そんな気持ちについて、取り上げたいと思います。

否定された気持ちは、自分自身のもの

否定された気持ちというのは、これ、他でもない自分自身のものですね。
相手が自分を否定してきた場合は、これは相手のものですから、境界線を持てる。
つまり、相手は自分をこう見るけれども、自分は自分をどう見るっていう視点。
これはすごく境界線が活きてくるもの。

自分自身が「否定された気持ち」に解釈したものっていうのは、自分自身のもの。

こういう気持ちについて考える時に、
「事実相手は否定したの?相手は否定してないよね。」「だから、いいじゃないか」というふうには簡単にはいかないんですよね。

だって、ここでは相手は関係なく、自分がそう思ってしまうっていう・・・。
まさにそのことだから。

だから「事実として否定されたわけじゃないのだから、手放せばいい」っていうことが、
そんなに、するっと簡単にできない。

その気持ちはとっても自然です。

自分の気持ちを、論理で片づけなくていい

ここで大切なのは、「あ、自分って否定された風に感じたんだな」
ってちゃんと汲み取ってあげること。

事実、相手は何と言ったかなど、すぐに論理立てるんじゃなくて、
「自分は一瞬そう思ってしまったんだなあ」ってところを拾ってあげる。

そして多分それには、ちゃんと理由がある。
その理由は明確にならなくても大丈夫。

ただ、自分の中の価値観や違和感が、少し明るみに出ただけ。

「自分だったらそういう言い方しないよな」とか、
「自分だったらそこはそんなに気にしないよな」とか。

自分と相手のズレが刺さっただけ。

だから、「こんなことにくよくよ考えてしまうなんて」とか、
「こんなこと気にしてしまうなんて」と思う必要はない。

これは、改めて「自分と相手は違う人間なんだな」と、
再確認するきっかけになるんです。

ズレを知りながら、人間関係を流していく

人間関係って感情によって、すごく揺れ動きやすいんです。

「この人とこういう感情を感じたくない!」って思ったりすると、
人と距離を極端においてしまったり。
時に関係性を断ってしまったり。

と、すぐ行動面で変えたくなったりしがち。

けれども、人って自分以外の人って、みんな違うんです。
会う人、会う人、本当みんな違う。

だからズレは当然ある。あって普通。
そして、そのズレが色々な感情を生み出す。
それは、当たり前。

そこで、いきなり色々変えようとするんじゃなくて、
ちゃんと自分の気持ちを汲んであげる。

時には、自分の優しさだったり、気遣いであったり、
素晴らしさを堂々と再確認していい。

そうして、些細な事をちゃんと些細なことにしていく。
改めて、自分自身でこういう人なんだなっていう価値観の輪郭がはっきりしてくる。

そして、それは自分を知るという尊い行為。

そうすると人間関係が、だんだんと川の流れのように、うまく流れて、
あんまり大げさに反応しなくなり、やりこなせるようになってくるから。


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・頭の中が散らかっている
・自分の気持ちや考えを言葉にしたい
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境界線と自己認識のテーマを中心に、
内面の整理をサポートしているNaoです。

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