距離を置きたいと思うのに、罪悪感が出てくる理由
距離を置きたい関係がある。
そして、「距離を置きたい」と思うこと自体が、
もう境界線の始まりだと分かった。
前回の記事⇒距離を置きたいと思うこと自体が、もう境界線
でも、抵抗感がある。
何となく罪悪感がある。
今回は、人間関係において、距離を置きたいと思うのに、
なんだか重たい気持ちになる理由について3つの視点から取り上げます。
目次
①「距離が近いこと=良いこと」という思い込み
まず最初にはっきりさせたいこと。
今現在、特定の関係において「距離を置きたい」と思っているなら、
それは、距離感の調整が途中段階にある関係だということ。
それが明らかになっているだけ。
「距離を置きたい」と思ったのは、単純に、距離が近すぎただけ。
料理をしていて、火加減を弱くしたいと思うのは、単純に強火にし過ぎたから。
もちろん、人間関係における距離は、物質的な距離というよりも、
精神的な距離。
期待しすぎた。
妄想しすぎた。
こんな人だという前提がありすぎた。
要求が多すぎた。
圧が強すぎた。
などなど。
そして、調整の必要性を改めて感じた。それだけのことです。
距離を置くことを「離れる」という意味で、捉えてしまう時に、
そこに善悪を入れてしまうことがあります。
離れることは悪いことだ。という価値基準です。
その裏には、「距離が近いこと=良いこと」という思い込みが潜んでいます。
でも、それは思い込み。
距離が近いことが良いこと、そんな単純なものではありません。
熱すぎたら、ものは焦げるし。
冷たすぎたら、そもそも料理ができません。
調整中なだけ。
距離感を調整し始めるフェーズに入った。それだけのことです。
➁「境界線を引く=冷たい」という思い込み
境界線という言葉に、誤解が多いのは事実です。
相談者の方とお話をするとき、境界線について、人間関係に壁を持つような、
シャットダウンするような、そんな冷たさを想定する人がいます。
でも、境界線とは、シンプルに、
自分は自分。他人は他人というところに戻ること。
人間関係の境界線とは?
境界線は、自分を大切にすることだし、他人を尊重することなんです。
近すぎて、負担を抱え、心身疲弊し、心の中で文句を言っているようでは、
相手の尊敬も何もありません。
相手との距離を近すぎず、遠すぎず、ちゃんと自分が機能する位置に、
定めることは、冷たさでも何でもなく、健全な人間関係のための必要な調整です。
➂「八方美人=器用な人間関係」という思い込み
自分が特定の人間関係に「距離を置きたい」現実に、
自分の能力不足を連想する場合があります。
もっとキャパが広ければ、器が大きければ、
うまく立ち回れただろうに。
これは、誰とでもうまくやれること=器用だ
という思い込みがあるからです。
でもそもそも、「距離を置きたい」人がいない、
もしくは実際に「距離を置かない」のは、
自分がない、完全に他人軸になってしまっている、
自分の人生を人に手渡しているというからくり。
これは、それだけ「自分の感覚を後回しにしてきた」というサイン。
人はみんな違って、能力もギフトも価値観も様々です。
近すぎれば、ぶつかる関係もあって当然です。
これまで人と関わることを積極的に、恐れずしてきたからこそ、
「距離を置きたい」が出てきたまでのこと。
全ての人と同じ距離感で接するのは、決して健全ではなく、
むしろ不自然です。
家族との距離感、同僚との距離感、友人との距離感、
近所の人との距離感、みんな違って当たり前です。
ちゃんと距離を置けているからこそ、むしろ器用であり、
健全な人間関係を構築している証拠です。
ーーー
以上、3つの理由について取り上げました。
罪悪感は、形のない、間違った前提から感じている感情がほとんどです。
もし今、「距離を置きたい」と思うのに、罪悪感が湧いてくるなら、
それはあなたが冷たいからではありません。
関係を大切にしようとしてきた証拠です。
まずはその気持ちを、否定せずに扱ってみてください。
それ自体が、境界線の実践です。
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