境界線を持つとはどういうこと?「影響を受けない」ことではない理由
境界線を持つというのは、「他人の影響を一切受けない」ということではないんですよね。
今回は、こんな内容について取り上げたいと思います。
目次
他人の影響を受けるのは自然なこと
「他人の影響を受けない」なんていうのは、まったくもって非現実的。私たちは誰でも、人から言われた言葉に傷ついたり、疑問を感じたり。怒りを感じたり、ちょっと違和感を感じたりします。
こういう感情はとても普通のこと。
境界線を持つというのは、他人に何を言われようが動じないこと、みたいに勘違いしてしまうと、すごくしんどいものになるし、とっても不自然なものになってしまいます。
夫に「自己中心的だよね」と言われた私の例
例えば、私は夫に「それって自己中心的だよね」って言われたことがあるんです。
この言葉に、私はすごく敏感に反応しました。自分の行動が本当に自己中心的かどうかを分析するとか、正しいかどうかとか、そういう話ではなくて、単純に「不愉快だった」というのが事実なんですよね。
不愉快な言葉ってたくさんあると思います。
例えば「その服似合わないよね」とか、「なんでそんな服買ったの?」とか。
いちいち言われたくない言葉って、きっとあると思います。
もちろん、相手には言う自由があります。
これは事実。相手は自分が不快に感じるような言葉を言ってしまうこともある。それは相手の誤りかもしれないし、相手の咄嗟の言葉かもしれない。相手も後悔しているかもしれない。でも、言うことはある。
ここで大事なのは、境界線を持つっていうのは、その時に感じた自分の感情を、ちゃんと自分が守ってあげることなんです。
相手に何を言われても動じないことが境界線なんじゃなくて、言われたその時に湧いた感情。これは自分の所有物なんですよね。きっかけが相手の言葉だったとしても、その結果、「そう思った」「こうしたいと思った」——それはもう自分のことなんです。
さっきの例で言うと、「自己中心的だよね」と言われた時に、私の中で一つの気持ちが芽生えました。私は傷ついたわけではなく、ただ、違和感があったんです。
夫とはある場所に行く日常の些細なイベントの話だったのですが、夫の言葉で、そこから私の中に生まれてきたのが、「自己中心と言われてまで行きたくないな」という気持ちです。
この気持ちこそが、まさに私のものなんです。
ここで「それ夫に言われたからそう思ったんでしょ、ちゃんと境界線を持とうよ!」という話ではないんですよね。
むしろ逆で、新たに生まれてきた自分の気持ちを無視するほうが我慢の方向へ行きがち。他人軸の方に流れやすくなってしまいます。
ここを勘違いすると、境界線は、ただただしんどいものになります。それどころか、何も現実が変わらないものになってしまうんです。
「自分は本当はどうしたいんだろう?」と気づくこと
人は一人では生きていけないし、他者と会話する中で、気持ちが動いたり、心情が変わったり、決断が変わったりするのは、とても自然なこと。
その中で改めて、「自分は本当はどうしたいんだろう?」と気づくこと。
実は私が、「自己中心と言われてまで行きたくない」と思ったのには、そもそもその予定は行っても行かなくても、私にとってどっちでもいい内容だったんです。
しかも宅配の食料品を受け取る日で、できれば家にいたかった、という気持ちもあった。夫とのちょっとしたいざこざがあって、私の心が定まった。ただそれだけなんですよね。決断の材料がそろった、というだけの話です。
境界線を持つっていうのは、自分の感情や、「本当はこうしたい」という気持ちをちゃんと把握して、明確にして、それを実行していくこと。
だから私は、そういう状態ではやりたくありません。こういう条件ではやりたくありません。これをはっきりさせていくこと。これが、まさに境界線の発動なんです。
他人はいろんなことを言ってきます。要求もあると思います。
それによって自分の考えが変わることもある。
そんな中で、自分の気持ちを守っているのであれば、まさしく「自分は自分、他人は他人」と境界線を持てているサインです。
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