親に対して気軽に簡単に『助けて!』と言えない気持ちについて
境界線と自己認識のテーマを中心に、
内面の整理をサポートしているNaoです。
もし、親に対して気軽に簡単に「助けて!」と言えないなら、
何かがおかしい。
今回は、そんな内容について取り上げたいと思います。
これは親を責めたいわけでも、
自分が悪いと言いたいわけでもなくて。
ただ、そう感じてしまう関係性には、
理由があります。
子供の頃って、親の絶対的な守りがないと、
生きていくことすらできなかった。
自分の生存には常に、親の的確な判断が紐づいていた。
これは比喩でも大げさでもなく、現実としての話です。
他の動物と違って、人間の新生児は、
本当にびっくりするくらい、周りの助けが必要。
的確なタイミングで、的確なケアがなければ、生きていくことすらままならない。
そうして生存が守られて、少しずつできることが増えていって、
自立し始めて・・・。
そして大人になって、自分の仕事を持ったり、結婚したり、子 ...
人があなたの境界線を尊重しない7つの理由〜言えないまま疲れないために
境界線と自己認識のテーマを中心に、
内面の整理をサポートしているNaoです。
今回は、人々があなたの境界線を尊重してくれない理由について、
取り上げたいと思います。
境界線は、本来あなたの心と生活を守る大切なもの。
境界線はなんとなく理解しているけれど、
境界線を引こうにも、なんかうまくできない、
どうしてか相手がスッと踏み込んできてしまう。
そんな経験、ありませんか?
実はそこには、いくつかの理由があります。
決して“あなたが悪い”という話ではなく、
ただ気づいていないだけのことが多いんです。
理由はいくつかあります。
どれも多くの人が無意識にやっていることです。
これは私が普段から取り上げているテーマの一つでもある「自己認識」
あなた自身が、あなたをどう見ているのかということ。
自分を後回しにしたり、無理をするのが当たり前になっていると、 ...
「頼まれるとイラッとする」ーそれは境界線が必要なサイン
境界線と自己認識のテーマを中心に、
内面の整理をサポートしているNaoです。
「頼まれるとイラッとする」…そんな感情を抱いたことはありませんか?
自分でもなんでこんなに嫌な気持ちになるんだろうと思うことってありますよね。
でも、実はこの“イラッと感”には深い意味があります。
今回は、このイラっとした気持ちと境界線について取り上げたいと思います。
イラッとするのは、境界線のサイン人が「イラッとする」とき、
それは自分の限界や許容範囲を超えた要求が関わっていることが多いんです。
たとえば、友人や同僚に何度も頼まれて、
自分の時間やエネルギーがどんどん削られていく状況。
親切にしたい気持はあるけれど、
ちょっと「そこまで求められると・・・」と要求が繰り返される時など。
たとえば私の例だと、
親戚の子どもたちのプレゼントのリクエストを受け取ったときのこと。
最初は少しのリストだったのですが、だんだん人数も増え、
一人ひとりのリストもかなりボリ ...
他人のイライラに振り回されないための、自分の心の守り方
境界線と自己認識のテーマを中心に、
内面の整理をサポートしているNaoです。
今回は「他人のイライラとの向き合い方」について取り上げたいと思います。
テーマはあくまで 他人 のイライラ。
自分のイライラではなく、相手の感情に自分が揺さぶられてしまう時のことです。
「なんであの人イライラしてるんだろう?」
「なんか嫌な感じだな…」
そんなふうに思うのは自然なこと。
でも過剰に反応したり、振り回されたり、
まして深く悩んだり、心が乱されたりする必要はありません。
今回は、
他人のイライラに強く反応してしまう相手の不機嫌によって、自分の平静が保てなくなる
そんなタイプの人に向けて書いています。
まず知っておきたいこと:「相手のイライラの原因はあなたではない」トラブルや喧嘩があって相手がイライラしている場合、
それは分かりやすいですよね。
でもここで扱いたいのは、「原因がよくわからないのに、相手が不機嫌そう」というケース。この時に起 ...
仲がいいだけではうまくいかない。家族関係に必要な“礼儀”の正体
境界線と自己認識のテーマを中心に、
内面の整理をサポートしているNaoです。
家族との距離が近いほど、
「気を遣わなくていい」「何でも言えるのが自然」という言葉を耳にします。
私自身、そう思っていた時期があります。
でもそんな中で、気づいたこと。
“何でも言える関係”と“何でもしてあげる関係”を続けていたら、
どこか息苦しくなる瞬間があったということです。
気づけば、家族の問題を自分の責任のように感じていたり、
自分の人生を後回しにして、誰かの悩みをずっと抱え込んでしまったり。
そのとき、
「親しき中にも礼儀あり」って、家族にこそ必要なんじゃないか?
と感じました。
今回は、そんなテーマを取り上げたいと思います。
「礼儀」は“気を使うこと”ではない礼儀というと、挨拶をするとか、お礼を言うとか、優しく接するとか・・・。
そんなイメージがあるかもしれません。
でも、私がここで伝えたい“礼儀”はもう少し深い意味。
それは ...
【境界線】人間関係がラクになる理由 ― “3つの癖”を手放すだけで変わる
境界線と自己認識のテーマを中心に、
内面の整理をサポートしているNaoです。
今日は、境界線を意識するだけで人間関係がラクになる理由を、
3つの視点から取り上げたいと思います。
他人は他人。自分は自分。
比較って、そもそも何のためにやっているんでしょう。
比較には「いい比較」と「悪い比較」があります。
・いい比較 → あ、この人のこういうところ好きだな。ちょっと参考にしよう。
・悪い比較 → 自分なんて… できてない… と自分を下げるもの。
悪い比較は、何の役にも立ちません。自分をすり減らすだけ。
自分が自分の味方でいるというのはとても大切なこと。
「これいいかも」と思う部分だけをそっと参考にして、
それ以外は全部スルーくらいの気持ちで。
というのも、自己卑下が強くなると、
人間関係はうまく回らなくなってしまいます。
「あの人、こうすればいいのに」
「なんでこうしないの?」 ...
価値観が違う家族との距離感—無理を手放すと人間関係はもっとラクに楽しめる
価値観の違う人って、世の中に本当にたくさんいますよね。
もちろん、自分と似た価値観の人もいるけれど、
全く違う人だっている。
親でも、配偶者でも、兄弟や親戚であっても、
「ここは合わないな」
「この考え方、ちょっと違うな」って部分は必ずあります。
似ている価値観の人とは、呼吸が合うように楽に過ごせる。
一方で、価値観の違う人とは距離が自然と開いていく。
ただ、家族付き合いとなると、
その「自然な流れ」だけでは割り切れない場面がどうしてもあったりするもの。
年末年始は会うものだし、みんなで集まる“空気”だし、
そこに「価値観が合うか・合わないか」は関係なく訪れる。
だからこそ、少し重く感じることもあるし、
「義務感だけで行っている気がする」とモヤッとすることもある。
今回は、そんな“価値観の違う家族との距離感”で悩む人に向けて書いていきます。
家族との価値観の違いに向き合う3つのパターン価値観の違う家族との関わり方を大きく分けると、 ...
人の態度を深読みして疲れる人へ ― 取り込まない習慣と境界線の整え方
他人の言動にすぐ反応してしまう。
深読みして疲れてしまう。不機嫌に振り回される。
そんな自分にそろそろしんどさを感じていませんか?
今回は、そんなテーマに対して、書いていきます。
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他人に何か心無いことを言われても、
変な態度をとられても、
自分自身で深く自分の中に取り入れないこと。
これってとっても大切なことです。
境界線を持つことは、
他人は他人。自分は自分。
他人の感情、他人の行動は、あくまで他人のもの。
ここに明確な線を持つこと。
境界線が曖昧だと、
他人がこのような行動や態度をしたのは、
「自分の何かがいけないからだ」とか思ったりするんです。
でも、こういう考えをしている限り、心重苦しく、
他人に振り回されてしまいます。
よく考えたら、おかしなこと。
他人って一言で言っても、色々な人がいます。
家族や友人はもちろんの事、職場の人や、近所の人、
お店や病院の人など ...
もう少し、迷惑をかけてもいい ― 自分の人生を軽くする境界線の引き方
「人に迷惑をかけたくない」
そんなふうに思うこと、ありますよね。
この気持ちは、「人に嫌われたくない」という思いにも通じています。
そして、すごく真面目で、優しくて、誠実で、正直で、人当たりも良い・・・。
そんな、一生懸命生きている人ほど抱きやすいものです。
けれども、その思いが強すぎると、
自分の人生を窮屈にしてしまうことがあります。
本当はもっと人に頼ってよかったり、そもそも迷惑でもなんでもなく、
ただの“日常のやりとり”に過ぎなかったりすることも多いのに、
「人に迷惑をかけたくない」という前提が強すぎると、
過剰に反応してストレスを感じてしまうんですよね。
「人がどう思っているか」「自分をどう見ているか」ばかりが気になってしまい、
それだけでたくさんの時間とエネルギーを使ってしまう。
そうすると、本来やるべきことや、自分の喜びに向かう力が削がれていってしまいます。
変え ...
家族にイライラしてしまう本当の原因―「こうあるべき」に縛られていませんか?
家族関係で悩んでいる人の話を聞いていると、よく出てくるのが
「○○(相手)はこうであるべきだと思う」という言葉です。
妻はこうであるべき。
息子はこうであるべき。
親はこうであるべき。
もちろん、最初から「こうであるべき」と明確に言葉にする人はほとんどいません。
その代わりに出てくるのは、
「こんなことをされた」「こんなに傷ついた」「あれはおかしい」「ひどすぎる」
など、相手への批判や不満の形をとった感情です。
そして多くの場合、
「相手との境界線を引く必要がある」と感じてはいても、
その「批判」や「怒り」そのものが、
すでに境界線を越えてしまっていることに気づいていません。
境界線とは、「自分は自分。他人は他人」
とシンプルに認めること。
たとえ自分がどんなに不快に感じても、
相手には“相手の自由”があることを認める。
この一見シンプルなこと ...
