「人の目を気にする生き方」を続けることで自分の身に起きる3つの弊害
今回は、「人の目を気にする生き方」の弊害を3つ取り上げます。
私は何度かブログで、「人の目を気にしないで」ということを発信してきました。
なんでそんなことを書いてきたのか。
私自身がずっと人の目を気にして、気にして、
他人軸第一で生き続けてきたからです。
自分が人の目を気にしていることすら意識していなかった時から、
人の目を気にしているよねと、自己認識が整い始めた頃、
そして、人の目…から段々と解放されて、自由になっていった時期。
そのプロセスは本当に山あり谷あり。
でも、本当に「人の目を気にしない」で生きるが重要なのかを
伝えたくて、今回はあえて「弊害」という切り口から取り上げます。
目次
弊害その①:自分の判断基準がブレ続ける
人の評価って、当たり前ですが、コロコロ変わるんですよね。
まさに、自分軸確立を、とことん邪魔する正体です。
この当たり前のことを、あえて言語化しないと、
スルーしてしまうんです。
人の評価は、
- Aさんには良く見えても
- Bさんには悪く見える
これが常。当たり前なんです。
職場でもそう。あの上司に嫌われても、別のあの役員から、
ものすごく好かれたり。
なのに、たまたま出会ったBさんが、絶対的な者みたいになってしまって、
落ち込む。へこむ。
もったいなさ過ぎます。
人って様々です。あなたのことが大好きな人もいれば、
関心のない人もいる。そしてあまり好きではない人もいる。
そして、どの人も例外なく、100%好かれるなんてありません。
誰を基準にしても、必ず誰かに縛られるんです。
だから、「人の目を気にして」誰かの評価を気にすると、
本当はあてにならない他人の評価に振り回されるので、
自分の判断がブレまくってしまいます。
弊害その➁:NOと言えなくなる
私は境界線のテーマで発信しているので、NOと言おう!ということは、
口酸っぱく何度も発信しています。
というのも、NOが言えるからこそ、自分の境界線が守れるんです。
NOなしに境界線は語れません。
それくらい、NOと言うことは大切なこと。
人を恐れると、
-
無理な依頼を断れない
-
間違いを指摘できない
-
不正に加担してしまう
ということが起きてしまいます。
人の目を気にして、「NO」が言えない。
言ったら最後、どう思われるか…なんて完全に他人の領域のことに、延々と悩むことに。
そして、本来あなたが守るべき心を犠牲にしてしまうんです。
弊害その③:自分を失っていく
人の目を気にして、「期待される自分」を演じ続けると、次第に、
- 本音が分からなくなる
- 心が疲弊する
- 結果的に信頼も失う
ということが起きてきます。
しかも、これは積み上がっていくんです。
夢がない。目標がない。やりたいことがない。
これもまさに人の目を気にしすぎて、自分を見失いつつあるサイン。
自分を見失うと、心がずっしり重たくなります。
だって、自分は自分しかなれないのに、
その自分の身体と心が一致していないような状態を、
日々演じるわけだから。疲れて当然。
すると、次第に芯がなくなり、軸がなくなり、ふわふわしてしまうので、
残念なことに、周りからも信頼されなくなるという悪循環になってしまうんです。
人の目を気にするのは、「いい人でありたいから」は勘違い。
むしろ、自分を見失うように導く罠なんです。
ーー
以上、「人の目を気にする生き方」の弊害を3つ取り上げました。
人の目は、所詮「人の目」。
コロコロ変わります。感情的です。流されやすいです。
そんな変化の多いものに、自分を合わせ続けるのではなく、
境界線をびしっと引くところは引いて、
自分はどう考えるか?
「これが自分」「これは自分でない」という認識を、益々整えていく。
そうすると、どんどん自分に戻っていく。
自分らしさが戻ってきます。
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