「そんな言い方ないよね」と感じたとき、心の境界線を思い出して
「そんな言い方ないよね」と思った時って、
心がざわついたり、もやっとしたり。
反論したくなったり、傷ついたり。
今回はそんな気持ちについて、境界線の観点から、取り上げたいなと思います。
目次
「そんな言い方」をしたのは、誰の感情?
まず最初に、「そんな言い方はないよね」と思った、
「そんな言い方」を発した相手は、自分ではないわけですよね。
この当たり前のところが、すごく大切なんです。
「そんな言い方」をしたのは、自分ではない相手。
相手の感じ方、捉え方、表現の仕方。
それらがすべて集まって、「そんな言い方」の言葉になるんです。
「そんな言い方」が相手の言葉から発せられる過程の中では、
相手の心の中でいろんな動きがあるわけなんです。
その動きを含めて、すべて相手のものです。
これは大前提ですね。
日常の小さな違和感が、心をざわつかせるとき
ある日、私はパエリアを作りました。
けれども火加減を間違えてしまって、底を焦がしてしまいました。
すでに、海鮮類を入れた後だったので、
その魚介類も底のほうに少しへばりついてしまって。
本当に、なんかちょっと残念な完成になってしまったんですね。
もう私が失敗したことは明らか。
あ、真っ黒。
フライパンも真っ黒。
食べられるところは、ほんとに上から2cmぐらいの表面みたいな感じ。
夫が「炭水化物ばっかり。」って一言。
そう、焦げで魚介類が半減しちゃったから。
どう考えたっていつもの夫が食べる量じゃないけれど、
一皿食べて、「僕はもういい。」って。
深く突っ込まなかったけれど、私が失敗したことは明らか。
もうちょっとフォローしてくれたらいいけれど。今回はなし。
「そんな言い方ないよね」ってちょっと思ったりしました。
「受け取らない」という選択が、関係を軽くする
「そんな言い方ないよね」って心の中で思った時に、
「そんな言い方」をあえて自分のものとして受け取って、
自分でもう一度発して、「そんな言い方はなくない?」
っていう風に相手に返す(聞く)っていう選択肢があります。
けれども、境界線の観点からはこれはあまりお勧めできません。
というのも、冒頭に書いたように、「そんな言い方」の所有者は相手。
相手がどのように表現するかは自由。
もうこれが原則です。
「そんな言い方」をあえて自分でぶり返す時って言うのは、
実はここで起きているのは、相手の問題というより、自分側のニーズ。
・自分がこういう風に言ってもらいたかった
・こういう気遣いが欲しかった
・更に傷ついた
など、これら全部自分側のニーズなんです。
相手のニーズじゃないんですね。
だから、相手の「そんな言い方」を取り上げて議論すると、
些細なことが大きな衝突に発展することがあります。
なので相手の「そんな言い方」を相手に返さない。
境界線。相手のもの。
必要以上に深く受け取らないし、些細なことなどスルー。
1年後どうでもいいどころか、明日になったらどうでもいいようなことに、
いちいち反応しない。
そうすると、人間関係がどんどん丸く丸く、楽になってきますよ。







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