境界線の持ち方

夫婦間における適切な距離感は、とても重要です。今回は、夫婦関係の境界線について取り上げます。

人間関係の境界線

夫(妻)を所有物化しているとは、どういうことか?

夫婦関係において、境界線が機能していない関係性は、どこか、相手を、所有物化している部分があるんですね。「自分のもの」みたいに扱ってしまっているんです。でも、実際は「自分」ではないから、「自分」のもののようにすると、当然、問題が起きてきます。

所有物化しているか、していないかの判断は以下のようなサインがあるかどうかです。

✔︎夫・妻のやることなすこと、気になってしまう、
✔︎夫・妻にこうなってほしいという願望を強く持ってしまう、
✔︎夫・妻にこうするべきだとつい命令してしまう、
✔︎赤の他人だったら、ありえないことをしてしまう(勝手に携帯を覗く、勝手に財布を触るなど)

心当たりあるものはありますでしょうか?

適切な距離を持って、問題を切り離す

夫婦は他人です。夫婦は男と女の一個 ...

境界線の持ち方

境界線の問題を抱えている特徴に、「本当はしたくないのに、する」という考え方があります。これは、

自分の「したい」という感情をしっかり所有できていない

ために起きます。

「自分が何をしたいのか」「したくないのか」を持たないので、他人の行動によって、他人の出方によって、自分を変えていきます。

休日のプラン一つすらも、「何がしたいのか」がわからず、結果的に、なんとなく、家族の意向に沿って、同意したのに、一度自分に耐えがたいことが起こると、一気に大きな喧嘩に発展したりするんです。

「本当はそんなことをしたくなかった」っていう自分が見えていなくて、とりあえず、流れで同意した結果、我慢ができない状況になって、ようやく、やっと、「したくなかった気持ち」に直面したからです。

自分が何をしたいのか、はっきり持っていないと、簡単に他人に流されます。もしくは、簡単に他人に流されることを好みます。そして、流されていった先に、自分を見失い、我慢をし、その結果、何かしらの形で怒りや嫉妬、恨みや蔑み、被害妄想や自己憐憫といったものとして出 ...

境界線の持ち方

境界線を持つとは、自分の「やりたい・したい」の感情を所有することについて、
この「やりたい・したい」という感情をしっかり所有できていないのは、自分の感情を表現するのが苦手であったり、怖かったりするからです。

自分の正直な感情を表現しないから、いつまで経っても、心の中に本当の思いが残ることになります。

(ちなみに、こういうことをずっとやり続けていると、次第に、何が自分の思いなのかも分からなくなってきて、自分の気持ちというものが把握し辛くなり、自分が何がしたくて何を望んでいるのか、自分ですら、分からないという状態になっていきます。)

もし、家族の中で、職場の中で、何か所属しているコミュニティの中で、自分の正直な思いを表現したら、どうなりますか。

もしかしたら、

人間関係がぐちゃぐちゃになってしまう

と恐れているかもしれません。

頭の中では、

正直に本音を言う→関係が悪化する→だから言わない→言わないから、偽りの思いを表面的には演じることになる→偽りの思いを前提に進む関係は、益々自分 ...

境界線の持ち方

シリーズの最終回です。

「私さえ我慢すれば」の思いを捨てること①・・・「自分になっていくこと」について
「私さえ我慢すれば」の思いを捨てること②・・・「自分の万能性を否定すること」について

「私さえ我慢すれば」の思いを捨てること①の記事で、

人が脱いだもの、
人が食べたもの、
人がやるべき仕事、

本当は、心がついてきていないのに、
「私さえ我慢すれば」でやっていませんか?

本来守るべき、自分自身の境界線を放棄してしまうことは、
相手を無防備に、自分の中に受け入れることを意味します。

これは、愛でも思いやりでもないんですね。

どちらかというと、相手の境界線をも崩すお手伝いをしてしまうようなことなんです。
相手も本当は入ってきちゃいけないはずのあなたの領域に知らず知らずのうちに入りこんじゃうんですね。
ただ、これは別のトピックになりますので、また次の記事で書いていきたいと思います。

と書きました。

今回は、ここで書いた「別 ...

境界線の持ち方

前回のテーマの続きです。

「私さえ我慢すれば」の思いを捨てていくことは、自分の限界であったり、自分の境界線をちゃんと守ることにつながりますということを、前回の記事では伝えました。

【人間関係の境界線】「私さえ我慢すれば」の思いを捨てること①

「私さえ我慢すれば」に続く言葉は、やはり、

できる

なんですね。

そして、この「できる」という言葉はとても肯定的で、可能性に溢れているような言葉に見えて、
実は、考え方によっては、危険な香りがする言葉でもあるんです。

というのも、

自分自身の万能性

を認めることになるからです。

自分自身が万能であると認識することは、心にとっては、とても重いです。

なんでかっていうと、万能じゃないからです。

「(人は誰でも)万能にはなれないのに、万能であらなくてはいけない」
と思うことが、とっても重いんですね。

自分さえなんとかすれば、自分さえ努力すれば、

できる
うまく ...

境界線の持ち方

「私さえ我慢すれば」という思いを抱えている方へ。
今回は同じテーマで、3つに分けて書いていこうと思います。

まず1回目は、「私さえ我慢すれば」の思いをちゃんと捨てようということです。

この我慢を捨てることで、自分になっていくということについてです。

心重くなる自己犠牲感「私さえ・・・・」

「私さえ我慢すれば」の思いは、心をとっても重たくします。なぜなら、私さえ我慢すればの後に続く言葉は大抵、「できる」なんですね。

私さえ我慢すれば、何かができる、何かがうまくいく・・・

んですね。

特に家族に対して。配偶者や子供に対して。

すごく我慢して、犠牲を払っているあなたは、日々心が休まらない日々を送っているかもしれません。

こころの栄養は、境界線という考え方を大切にします。

「私さえ我慢すれば」という考えには、たとえ本当は自分が守らなくてはいけない自分の領域内においてでも、相手に対してオープンになり過ぎているんですね。

相手が土足で、自分のプライベートな部屋の中に入 ...