他人を変えることに興味がある人:自分はどう生きるのか?に取り組むのがこころの栄養
こころの栄養は、あなたが心軽く生きるためのものであって、あなたの周りにいる人を変えるためのものではないです。
私はいつも、あなたはどのように感じているのか?と問います。
私は、人の悩みや課題の相談に取り組む時に、事前にヒヤリングとして、どのような状況かを書いてもらうことがあります。
そして、この文章の書き方にパターンが2つあることに気づきます。
それは、主語が、自分になっているのか、他人になっているのかということです。
ある人は、夫が○○で、夫が△△で、困っている、離婚したい、許せない、慰謝料を請求したいなどと書きます。または、母親がもしくは職場の同僚が△△で嫌だなどと、終始他人視点で書きます。
ある人は、私は夫の○○に、△△のように反応してしまう、いつも怒ってしまう、自分を責めてしまうこともある。◆◆のようにしたいのに、××のことを考えてしまうなど、終始自分視点で書きます。
最初のヒヤリングは、出だしのスタートで、大抵、他人視点で書いていた人も、内容を深堀していくうちに、どんどん自分視点になってきます。
つまり、自分の中にあるこういう考え方を見直していきたい、○○はやめていきたいなど、「自分がこれからどうするか?」に変わっていきます。
そして、最初から自分視点の人は、もちろん終始、自分のことに取り組みます。
自分ができる行動に注目し、自分の態度を変えていきます。こういうパターンの人は、日常生活の中で、本当にみるみる変化が出てきます。
つまり、私との相談のやり取りを、「自分がこれからどうするか?」を考えるための戦略会議にしているからです。
こういう人は、自分が心軽く生きることを本気で考えています。
自分の周りにいる人が変わることで、自分が心軽く生きられるなんて考えていません。そんな、他人の奴隷のようにはなっていないんです。だからこそ、変化できます。
相談目的は、愚痴をいうためでも、だれかに話を聞いてもらうためでもなく、自分がこれからどう生きていくか、過ごしていくかを、頭を整理して考えるために、相談してきます。
自分が変わっていくというのがもう大前提にあるんですね。
相談は、当事者の相談しかできません。第3者のことを書いていると、まるで第3者の相談ができているかのように思いますが、結局は自分の第3者の関わり方についてを見直しているんですね。
全部自分がやること、やらないことを整理していくんです。
第3者である他人の話を、当事者不在でやり取りしていても、あまり意味がありません。なぜなら、相談の場にその第3者はいないからです。いない人を変えることはできません。ただの噂話か悪口です。
第3者に対する自分の気持ちに向き合うこと。これには向き合う価値があるし、変えることができます。自分が所有している気持ちだからです。自分の課題について、自分が向き合う時間を持つ。自分に取り組むために尊い時間を使うんですね。
さて、出だしの書き方が自分視点か、他人視点かと書きましたけれど、たまにこんな人がいます。
徹底的に、他人のことを持ち出し続ける人です。最初は、夫の話をしていて、夫がどれだけ迷惑なことをしてきたかみたいな話をします。
そのあと、次に自分の母親の話をします。そしていかに自分の母親が自分を愛してくれないかの話をします。
次に、職場の同僚の○○さんの話をします。いかに○○さんが付き合いにくいかを話してきます。
そして、今度は友人の発言で言われたことにとげがあった話をします。
それが終わると、また別の他人です。
際限なく、出てくるのは、常に自分以外の誰かです。
こういうパターンは、とても自己中心になっている可能性があります。
そして、自分以外のすべての周りの人を変えようとするとてもコントロールの強い面があります。
こころの栄養は、変えられない他人ではなくて、変えられる自分に取り組みます。
もし、悩みの主語に他人ばかり出てきている時、自分の周りにいる「自分に不都合な他人」を「自分に都合のいい他人」に変えるためにどうすることができるのか?を考えていないか疑ってみてください。
こころの栄養は、他人ではなく、自分自身の生き方に向き合います。
何か、催眠術や、巧みなトークによって、他人を操ったり、他人の感情を動かして、他人を自分の思い通りにすることにも関心を持っていません。
あくまで、こころの栄養は自分のための自分に向き合うためのものです。
自分の考え方をもっとシンプルにして、軽く考えて、人生をもっとより良いものへ変えていく。そこに興味を持っている人は、ぜひこころの栄養に続けてメッセージを送って下さいね。
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