怒りの感情との向き合い方|怒ってしまう自分を責めていませんか?
「また怒ってしまった」
「怒りがコントロールできない」
「怒るなんて幼稚だ。まだまだだ…」
などと、怒ってしまう自分にイライラしたり、自己嫌悪を抱いていませんか?
今回は、怒りという感情との向き合い方について取り上げたいと思います。
目次
喜怒哀楽なのに、なぜ怒りだけ悪者に?
喜怒哀楽という言葉があります。どれも感情なのに、日常の中で、喜びや楽しさ、嬉しいことは「良いもの」として大歓迎されるのに、悲しみや怒りは「良くないもの」として扱われてしまうことがあるんです。
感情に良い・悪いのジャッジを下すことは、日々の平穏を壊すきっかけになってしまいます。
こんな話をすると、「じゃあ感情の起伏がないようにすればいいんじゃないか」と考える人もいるんです。楽しいことがあっても、あまり楽しまないようにすれば、悲しいことがあっても、あまり悲しくならないのではないかと考えるんです。でも、この考えのベースにあるのも、やはり感情の良い・悪いというジャッジです。
感情をコントロールしようとする。でも結局、コントロールしようとすればするほど、感情にコントロールされてしまう…そんな状態になってしまいます。
「怒っていいんだ」という許可証
まず最初にお伝えしたいこと。それは、「怒っていい」ということです。
怒りというものに対して、悪いもの・ネガティブなものという印象を持ってしまっていることに気づいたら、「怒っていいんだよ」という許可を、自分に少しずつ与えていくプロセスを始めてみてください。
怒っていい。怒ることは、普通のことだし、そして、とても必要なことです。一度ここに戻る。
そもそも、人は完璧ではありません。誤解が生まれることもあれば、心ない配慮に傷つくこともある。ミスだってたくさんあります。そんな状況や場面に、怒りが湧いてくるのは、とても普通のことです。
否定した怒りは、恨みに変容する
私にとっても、もちろん怒りは不快な感情だと思います。できれば怒りたくない。できれば楽しく過ごしたいものです。
でも、怒るような出来事が起きて、自分が怒ってしまったとき。「怒らせる方が悪いんだ」と相手を責め始めると、一つの出来事だったはずなのに、だんだんその人への恨みや憎しみが膨らんでいきます。心のもやもやに気付かないうちに、時間の経過と共に和らぐどころか「増幅」してしまうんです。
怒りは、はじめは単純な感情からスタートしました。なのにその「怒り」自体を否定すると、根深いドロドロしたものに変わっていってしまいます。
セッションの中で、こんな話を聞いたことがあります。「8年前の出産のときの夫の一言、態度が、ずっと心にあって。もうそれが恨みに変わってるんです」と。
恨みや憎しみに変わっているときは、時間軸の幅があるのがほとんどです。「今日こんなことがあった、恨んでます」ということは、あまりありません。出来事に遭遇したそのときはまだ「怒ってます」だったのに、時間とともに「恨んでる」に変わってしまうのです。
心軽く生きるために|怒っていい
では、心軽く生きていくために、どうしたらいいのか。
私が伝えたいことは、怒りを感じたときは、怒ることを許可してほしいということです。「私怒っている」とまず自分に一言言ってください。
真面目な人ほど、抑え込もうとするんです。「こんな風に、怒りを感じちゃいけない」「この怒りはあるべきじゃない」。そして、家族の前でも平気であろうとする。押し殺そう、押し殺そうとする。時間の経過とともに、なかったことにしようと努力する。
はっきり言います。未処理の怒りは、時間の経過とともに、憤り、恨み、憎しみ、苦しみに変わっていきます。
まとめようとしない。自分の中に抑え込もうとしない。なかったことにしようとしないで。平気なふりをしない。怒って大丈夫です。
このサイトには、もやもやを吐き出す「想いの箱」も用意しています。ここに感情をぶつけても大丈夫です。こころの栄養は、「怒ってます」は、大歓迎です。
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