親に対して気軽に簡単に『助けて!』と言えない気持ちについて

人間関係と境界線

境界線と自己認識のテーマを中心に、
内面の整理をサポートしているNaoです。

もし、親に対して気軽に簡単に「助けて!」と言えないなら、
何かがおかしい。

今回は、そんな内容について取り上げたいと思います。

これは親を責めたいわけでも、
自分が悪いと言いたいわけでもなくて。

ただ、そう感じてしまう関係性には、

理由があります。

子供の頃って、親の絶対的な守りがないと、
生きていくことすらできなかった。
自分の生存には常に、親の的確な判断が紐づいていた。

これは比喩でも大げさでもなく、現実としての話です。

他の動物と違って、人間の新生児は、
本当にびっくりするくらい、周りの助けが必要。

的確なタイミングで、的確なケアがなければ、生きていくことすらままならない。

そうして生存が守られて、少しずつできることが増えていって、
自立し始めて・・・。

そして大人になって、自分の仕事を持ったり、結婚したり、子供を持ったり。
けれども、大人になったからって、周りの助けはいつも必要。

一人で万能に生きていける人なんて誰もいないから。

そんな時、身近な親に、気軽に「助けてほしい」と言えるのは、
すごくありがたいこと。

助けてほしくても、誰にでも助けてって言えるものじゃない。
けれども、せめて親にくらい、気軽に「助けて」と言いたい。

でも、なんか抵抗がある。
理由はもちろん人それぞれだけど、今回は3つ取り上げてみます。

➀親に対して、「助けて!」というより「助ける」役割をしてきた

大人になって、なぜかいつの間にか立場逆転。
「自分が親を助けないと」
って、
そんな使命感や義務感をどこかで身に着けてしまったかもしれません。

親が病気だから。
親にあれをやってもらったから。
親はできないから。


多分理由は様々。

けれど、いつの間にか親の気持ちをくんだり、意向に応えたりすることが、
当たり前になっていたのかも。

本当は、自分にも新しい家族がいて、優先順位も変わっていたのに。
手放すのに手放せない。
なんかいっぱいいっぱいな感じ。

そんな中で、いまさら「助けて」なんて言えない。
そんな気持ちの葛藤があるかもしれません。

➁親は助けられないとどこか諦めている

親の悪口を言いたいわけじゃないけれど、
心の中で親は人を助けられる人じゃないと、どこか諦めている。
そんな余裕が彼らにはない。

親をジャッジしたいわけじゃないけれど、
彼らはそういうことができる人間ではないと、線を引いてしまっていることも。

もちろん、親のこれまでの態度とか生き方を見てきて、
あなた自身が感じた気持ち。

➂甘えたくない、頼りたくない

もしかして、親にとっての「いい子」をやってきたかもしれません。

自分は手のかからない子。
自分は何でもできる子。

親の助け?それどころか、人を助けるのが自分の立場って。

➀と通じるけれど、その違いは、
もっと自分の中のプライドであったり、
弱みを見せたくない気持ちだったりするんです。
親の前で等身大の自分を見せたくないと。
でも、本当は何を言われるかわからないという恐れが隠れています。

ただ、そんな恐れとも向き合いたくないし、
まして、親こそ、一番隠しておきたい相手。
どこか親の前で背伸びするのに、慣れきっているかもしれません。

もし、読みながら自分の中に引っかかる感覚があったり、
「これは自分の話かもしれない」と思う部分があったなら。

無理に答えを出さなくても大丈夫です。
ただ、そのモヤモヤを一度、言葉にして整理する時間を用意しています。

◎対話室からの質問

親に対して「助けて」と言えないとき、
あなたの中では、どんな気持ちが一番強く出てきますか。

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