依存症は自己責任なのか?

2021/11/05境界線の引き方, 気持ちとの向き合い方

依存症は自己責任なのか、自己責任ではないのか?

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タイトルに書いておきながら、なんですが、こんなことはどうでもいいことです。
もし、自己責任か、自己責任じゃないかを考えているなら、残念ながら、「どうでもいいことを考えている。」と思ってください。

依存症は自己責任です。お酒なり、薬物なり、ギャンブルなり、コントロールが効かなくなってしまったとはいえ、やり続けるという選択をしているのは他でもない本人で、その結果を受けるのも本人です。

だから、自己責任です。

でも、彼らたちには依存してないといけない理由があります。依存してないと、苦しくて生きていけない理由があります。依存なしで現実を直視するのは苦しすぎる理由があります。(周りがどう思おうが・・・です。)

その理由は、家庭環境だったり、職場環境だったり、虐待や、いじめ、暴力や孤独、ストレス・・・などなど依存していないではいられない理由があるからやっているんです。

彼らの理由に、人間関係が関わっていないことはまずありえません。

いじめるひどい人がいただろうし、性的虐待をした愚かな人間がいただろうし、毎日、毎日、暴言だらけで家庭が機能していない子供のような両親に育てられたかもしれないし・・・もしくは大切な人を失い、絶望から抜け出せなくなったかもしれません。

理由は様々です。でも、理由はあるんです。

そして、その理由は、依存症本人が簡単に避けられなかったこともきっと沢山あると思います。

だから、依存症になったきっかけが自己責任かといえば、そうとは言い切れません。だからと言って、その責任を他の「誰」と特定できるものでもありません。

まして、彼らたちの人生を狂わせるきっかけになった人も、依存症本人と同じように、そうならざるを得なかった理由があるかもしれません。彼らも彼らで、関わってきた人間によって、自分が出来上がってきたのもまた事実です。

この世に生きている限り、そして、嘘も詐欺も犯罪も存在しているような世の中に生きている限り、先祖代々、傷つけ合うことが存在してきた事実は、どうしようもありません。

どうしようもないことを、考えているのは時間の無駄です。

だから、依存症になったのが自己責任かといえば、自己責任だし、自己責任ではないといえば、生きている人全員の責任という、明確な答えのないものになってしまいます。

答えはないんです。だから、それを考えること自体、無意味です。無意味なことはどうでもいいことなんです。

依存症は自己責任です。もしあなたが依存症の家族なら、あなたのせいではありません。