怒らない!?怒ることは悪ではない~感情的にならずに、冷静に怒る

シンプルに考える

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私は、物事をポジティブに考えようとする傾向があります。これは、決していい意味ではないです。物事をポジティブに考えようとするというのは、そう考えられない時は、ネガティブになるという意味です。

つまり、すごく極端なわけです。ポジティブ思考というのは、私にとっては、全然いい意味ではないんですね。ポジティブ思考というのは、デフォルトがネガティブ思考になっているので、わざわざ気分を上げるような「ポジティブ思考」が必要になるわけです。

心が落ち着いていると、瞬発的に気分を上げようとする、ポジティブ思考に頼らなくても、自然と、物事を冷静に、見ることができます。でも、心が落ち着いていないと、常にふわふわと宙に浮いているような感じで、安定感がなく、感情の波も激しくなります。

物事は、ポジティブもネガティブも、両面があって、そして同時に、ポジティブでもネガティブでもない、様々な見方もあるんです。自分が考えていることなど、無数の選択肢の中の一つに過ぎないんですね。

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今回は、「怒る」という感情について、取り上げます。「怒る」というのは、ポジティブなイメージがありますか?ネガティブなイメージがありますか?私は、ずっとネガティブなイメージがありました。だから、怒ることは良くないと思っていました。

「怒ったら負けだ」とかも思ったことがあります。でも、喜怒哀楽という言葉があるように、怒るというのは、ただの人間の感情の一つなんです。ポジティブなイメージも、ネガティブなイメージも何も、感情の一つ、ただそれだけです。

私は、人間の感情の一つに、いちいちネガティブなイメージをくっつけて、大げさにしていたところがありました。

怒ることが、ネガティブだと思っていると、自然と、「怒らないように」って考えます。すると、怒らないようにするから、我慢したりします。言いたいことを、言わなかったりするんです。また、怒っている人を見ると、怒ることがネガティブだと思っているから、「大人げない」とか、裁いてしまうんです。そうやって、勝手にネガティブなイメージを持って、裁くから、今度は自分が怒ってしまうと、ひどく自己嫌悪になったりします。

なぜなら、「怒る=悪」って思っているからです。

自分が感情に善悪をつけていることによって、人を裁いたり、自己嫌悪になったりするって、本当に自分で勝手に苦しむネタをつくっているようなものですね。怒りは怒りという感情、ただそれだけなのに。

怒るということが、こころの栄養にならないんじゃなくて、「怒ることは良くない」などと、こうやって物事に、何でも白黒つけていることが、こころの栄養にならないんです。もちろん、ずっとくどくど怒って、人を無視したりとか、すねていたりとか、人が怖気づいてしまうような、大声や奇声を上げたり、暴言を言ったり、そんな「怒り方」は、もちろん良くありませんが、怒るという感情自体は、良いも悪いもなく、人間の感情です。

私は怒ることがありますが、意識していることは、「感情的にならないように怒る」ということです。感情的になって、怒るのって疲れるんですね。泣きながら怒るとか、何度も同じことを言い続けるとか、人を睨みつけるような怖い顔をするとか。そういう、なんて言うんでしょうか。怒りにくっつく装飾は疲れるんです。

冷静に怒るように心がけています。冷静に怒っている方が、案外、人は聞いてくれるものです。感情的に怒っていると、なんだかすごいことが起きているように見せることはできて、一見、ドラマチックですが、怒っている自分も、途中で何言っているか、分からなくなってくるし、怒られている方も、何だかすごく脅威を感じて、常に防衛の態度をとって、話を聞いてもらえないんです。

なので、感情的にならず、冷静に怒るようにしています。

怒り自体は決して、悪いものではないです。必要な怒りは存在します。この世は完璧ではないですから、妥協してはいけないこともあります。怒りは悪だとか、そんな風に思う必要は全くなくて、「どう怒るか」です。

何でもかんでも、あれはいい、これはいい、ポジティブだ、ネガティブだ、などと、自分流のラベルを貼って、その結果、自分の首を絞めるような、自分を縛り付けるような考え方は、窮屈ですね。余計なラベルはどんどん手放していこうと思います。

 

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こころの栄養のメインテーマ:人間関係の境界線について