究極、どう思われたって、どうでもいいー私が「自分を後回しにする人生」を卒業した理由
今回は、私がずっと大切に握りしめていた
「ある執着」を手放した話を取り上げたいと思います。
私はこれまで、自分の家庭環境を振り返ったとき、
「ネガティブな言葉や激しい喧嘩」が繰り返される中で育ってきました。
自分でも気づかないうちに、心は、
そのたびに激しく反応し、傷ついてきたと思います。
そして、そんな環境だったからこそか、
私は「理想的な家庭」に対して、人一倍強い憧れを持っていました。
目次
「見たくない現実」を消すための努力
でも、気づいたこと。
それは、その憧れが、いつの間にか他人との「比較癖」を強め、
私から現実を見る力を奪っていたことです。
大人になっても、自分にとって思わしくない状況が起きると、
無意識に「見ないふり」をしてしまっていたなと。
ふりをしたって現実に起きてることが起きてるから、
ちゃんと体は反応してるのに。
「こんな現実は受け入れられない」
「なかったことにしたい」
そう願うあまり、現実が消えてなくなるように、
必死で「いい人」になろうと努力していたと思います。
自分を後回しにする「境界線」の崩壊
他人は変えられないのに、自分さえ我慢すれば、
自分さえもっとよくなれば…。
そんな思いが、自分の本当の思いを後回しにし、
他人の機嫌や期待を優先し続けてる原因になっていました。
それがどれほど心のエネルギーを消耗させることか。
渦中にいる時は全く考えられず、
むしろ自分をさらに痛めつけていたなと思います。
「境界線」が引けず、他人の感情の責任まで背負い込んでいた私は、
バッテリー切れの状態だったのです。
究極、「どう思われてもいい」
でも、自分の育った環境が理想形ではなかったという事実を認めることは、
敗北ではなかったんです。
むしろ、認めることでようやく、私の足はしっかりと地面につき始めたんです。
正直、過去の事って認めようが認めないが、起きたことは変わらないんです。
だからそこは、認めちゃって前に進む。
「良い家族だと思われたい」
「良い娘、良い妻だと思われたい」
そんな風に、誰かの評価という不確かなものに自分の価値を委ねるのは、
おしまいです。
究極、どう思われたって、どうでもいい。
そう思えたとき、私はようやく「私自身」として息ができるようになりました。
モヤモヤの中にいるあなたへ。
もしあなたが今、何かにモヤモヤし、
自分を削ってまで「いい人」を演じているのなら。
そのモヤモヤの正体は、
「守りたい理想」と「直視したくない現実」のズレ。
そのズレを言葉にし、境界線を明確に引くことで、
あなたのエネルギーは本来の場所へと戻っていきます。
もし今、
・頭の中が散らかっている
・自分の気持ちや考えを言葉にしたい
・「いい人」を卒業して、自分を取り戻したい
と感じていたら。
かつての私のように、理想と現実の狭間でエネルギーを使い果たしてしまう前に、
あなたの本当の声を丁寧に言葉にする時間を、私と一緒に過ごしませんか?
境界線と自己認識のテーマを中心に、
内面の整理をサポートしているNaoです。▶ プロフィール







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