アドラー心理学「嫌われる勇気」共同体感覚(9)
今回は、アドラー心理学の中にある「共同体感覚」について取り上げます。
アドラーの言う「共同体感覚」とは何か?共同体感覚とは、アドラー心理学の中でもとても大切な考え方です。
でも、同時にこれまでの課題の分離や、幸せになる為の変化を理解して実践しないと、単独ではなかなか理解し難く、頭では分かっても、実際に取り組むのはすごく難しく感じてしまいます。
アドラーは、悩みのほとんどは、対人関係といいましたが、対人関係の理想像、まさにゴールがこの共同体感覚です。
共同体感覚は、英語でsocial interestと言い、「社会への関心」という意味です。人は1人では社会を構成することが出来ず、2人以上、つまり「私とあなた」の存在で社会になります。
難しく考えずに、家族とか、会社とか、友人とか、そういう関係をイメージしてみて下さい。共同体感覚は、まさにこのような関係で、他者を完全に「仲間」と見なします。
例えば、家族連れがチケットを買おうとディズニーランドのチケット売り場で並んでいたとします。途中から、お父さんだけが並び始め、 ...
アドラー心理学「嫌われる勇気」全体論(8)
今回は、アドラー心理学「全体論」について、取り上げます。
心と身体は切っても切り離せないアドラー心理学は別名「個人心理学」とも呼ばれています。個人心理学は、individual psychologyと訳され、このindividualという単語は「(これ以上)分割できない」が語源になっているそうです。
個人とは、これ以上、分けられない最小単位であることー1人がこれ以上分割できないものであることは、考えてみれば、当たり前です。私たち人間は、自分の手も足も髪の毛も、自分に所属するものとして扱います。
アドラー心理学では、二元論的価値観に反対しています。例えば、精神と身体。もしくは理性と感情。そして意識と無意識などについてです。もちろん、それぞれは別個のものとして存在していますが、「自分の精神(心)が、こうするから、身体がこうなった」というように、あたかも精神が自分のものでありながら、他の誰かのような言い方、扱い方をすることを否定しています。
よく考えれば、私の手のせいで、足のせいで、髪の毛のせいで、こうなった・・・というのはおかしなことで ...