共同体感覚の実践方法(アドラー)
前回の記事(共同体感覚の始め方(アドラー))の続きです。
「超図解 勇気の心理学 アルフレッド・アドラーが1時間でわかる本」(中野明著、Gakken)にわかりやすい図がありました。
⇩この図です。本文P109から、写真を撮りました。
面白いのが、共同体感覚が高い人というのは、『自動的に』活動性も高くなって、社会的に有用な人の位置づけになる点。つまり、共同体感覚が本当に高いなら、自然と社会に貢献しようとする思いも湧いてくるし、自然と活動性も高くなってくるとアドラーは言っているんですね。
ただの評論家や、行動をしない口だけの人を除いて、本当に共同体感覚が高い人で、活動性が低いという人は存在しないので、一つのマスが空白になっています。
社会的に有用な人になるにはさて、アドラーの共同体感覚によれば、社会的に有用な人になるためには、「共同体感覚が高く」、「活動性が高い」人になることです。
先ほども書いたように、これは、「共同体感覚」だけ高くしておれば、必然的に活動性は高くなるから、結局は共同体感覚を目指していけばいいっ ...
共同体感覚の始め方(アドラー)
嫌われない勇気(岸見一郎氏、古賀史健氏 ダイヤモンド社)では、アドラー心理学の肝となる考え方の、「共同体感覚」が紹介されています。
共同体感覚がわかると、「自分、自分、自分!!!」って考え続ける自己中心から、次第に全体の利益を優先させるようになっていって、自己中心の囚われから解放されていきます。
本当に、世の中の人がみんなが全体の利益を優先させるようになったら、世界はどういう風に変わるんだろうとワクワクします。でも、これを実現するには、「まず自分」からです。
すべての人が、「あ〜こうなったら、理想だよね!」って思うことは、結局失敗しながらでも、やってみようと努力して、前進しようとしないとどうにもならないんですね。
だから、アドラー心理学は、「自分だけが幸せになろう」という気持ちいっぱいで学ぼうとすると罠に陥ります。と言うのも、この心理学は共同体感覚を持つように言っているからです。
つまり、自分の人生を共同体のために使いなさいってこと。
そのためには、「自分が、自分が、」と考えて ...
家族問題にアドラー心理学を推奨する理由
こころの栄養.comでは、アドラー心理学シリーズで、10回の記事を発信しました。私は、カウンセリング手法として、特定の心理療法をサポートしているわけではありませんが、家族問題については、アドラーの考え方をオススメしています。今回は、その理由について書いていきます。
1、課題に分離について扱っているから家族問題というのは、多くの場合、「あまりにも密接した」関係の中で生じてしまいます。友人関係や仕事の悩みとは少し種類が違って、お互いが、いい意味でも悪い意味でも「あまりにも親密」になりすぎた為に起きてしまった問題が多いです。
「親密さ」は家族関係には確かに必要なものであるけれど、同時にこの「親密さ」ゆえに、本来は相手の領域であるにも関わらず、土足でずたずた入り込んでしまうようなことがあります。相手の問題であることも自分の問題かのようにして、次第に癒着し始め、大きな問題につながってしまうのです。
家族問題のテーマのカウンセリングは、様々なものがあります。親からひどい悪口を言われた、配偶者の浮気、離婚、依存症、DV、うつ、引きこもり、ギャンブルなど様々で ...
アドラー心理学「嫌われる勇気」自己中心性(10)
自己中心的な人といえば、どんな人を思い浮かべますか?自分勝手な人、自分本位な人、自分の思い通りにするために、他人を困らせたり、迷惑をかける人をイメージするかもしれません。
こういう人は確かに自己中心な人ですよね。世界がまるで自分中心にすべて回っているかのように振舞います。
逆に、自己を無にして、家族のために、誰かのために身を粉にして働いたり、息子や娘のために、何から何まで尽くす人もいます。
ただ、このような他者への貢献の場合、もし、必死に頑張った人たちが、周りの家族から、何も感謝されなかったり、むしろありがた迷惑のように扱われたら、どのような気持ちになるでしょうか。
自分がやっていたことは、間違っていたのだなと素直に認められたらよいですが、心の片隅でどこか「こんなにやったのに」という不平不満が出てくる可能性が大いにあります。そうなると、自分がやってきたことが全て否定されたような気持ちになって、大きく落ち込んだり、虚しくなってしまうかもしれません。
アドラーは、他者からの評価や承認に怯 ...
アドラー心理学「嫌われる勇気」共同体感覚(9)
共同体感覚とは、アドラー心理学の中でもとても大切な考え方です。
でも、同時にこれまでの課題の分離や、幸せになる為の変化を理解して実践しないと、単独ではなかなか理解し難く、頭では分かっても、実際に取り組むのはすごく難しく感じてしまいます。
アドラーは、悩みのほとんどは、対人関係といいましたが、対人関係の理想像、まさにゴールがこの共同体感覚です。
共同体感覚は、英語でsocial interestと言い、「社会への関心」という意味です。人は1人では社会を構成することが出来ず、2人以上、つまり「私とあなた」の存在で社会になります。
難しく考えずに、家族とか、会社とか、友人とか、そういう関係をイメージしてみて下さい。共同体感覚は、まさにこのような関係で、他者を完全に「仲間」と見なします。
例えば、家族連れがチケットを買おうとディズニーランドのチケット売り場で並んでいたとします。途中から、お父さんだけが並び始め、お母さんと子供たちは、列を外しました。だからといって、お父さんが、自分の分だけのチ ...
アドラー心理学「嫌われる勇気」全体論(8)
アドラー心理学は別名「個人心理学」とも呼ばれています。個人心理学は、individual psychologyと訳され、このindividualという単語は「(これ以上)分割できない」が語源になっているそうです。
個人とは、これ以上、分けられない最小単位であることー1人がこれ以上分割できないものであることは、考えてみれば、当たり前です。私たち人間は、自分の手も足も髪の毛も、自分に所属するものとして扱います。
アドラー心理学では、二元論的価値観に反対しています。例えば、精神と身体。もしくは理性と感情。そして意識と無意識などについてです。もちろん、それぞれは別個のものとして存在していますが、「自分の精神(心)が、こうするから、身体がこうなった」というように、あたかも精神が自分のものでありながら、他の誰かのような言い方、扱い方をすることを否定しています。
よく考えれば、私の手のせいで、足のせいで、髪の毛のせいで、こうなった・・・というのはおかしなことです。身体に属する全てが、自分のものであり、全てのものと付き合っています ...
アドラー心理学「嫌われる勇気」課題の分離2(7)
アドラー心理学「嫌われる勇気」課題の分離1(7)の続きです。
他人への過度な気遣いによって、課題の分離ができない!?アドラーは悩みのほとんどは対人関係であり、課題の分離ができていないことで問題が生じると言いますが、これが本当に難しいのは、たとえ、自分ができたとしても、「他の人は課題の分離をしてこない、できない」と心のどこかで思っていることです。
たとえば、私は、課題の分離をするけれど、「あなたは私がこうすることで、傷つくよね」とか、「私のこの行動、理解しないよね」と、どこか、相手は課題の分離ができないのではないかと思ってしまいます。そうすると、相手がどう考えるかが気になって仕方ないので、結局自分もやっぱり課題の分離をするのをやめて、相手に合わせてしまうんです。
当然、いつまでも課題の分離が進まないので、いつまで経っても、踏み込む必要のない他人のことで悩んでしまうという循環が止まらなくなります。
特に日本人は遠慮の文化もあり、目立つことに対して消極的です。だから、理屈で「課題の分離」を理解しても、目の前の人に結局合わせてしまう、しかも ...
アドラー心理学「嫌われる勇気」課題の分離1(7)
今回は、アドラー心理学のメインテーマとも言える課題の分離について書いていきます。課題の分離はとても重要な箇所で、これが本当に実践レベルでできるようになると、ほとんどの悩みは吹き飛んでしまいます。このテーマは、複数回に分けて、紹介していきます。
課題の分離とは何か?課題の分離とは、課題が誰に所属するのかを明らかにして、他人の課題を自分の課題として悩み苦しむことから自分を解放することです。アドラーは、「これは誰の課題のなのか?」と問いかけて、複雑に絡まった人間関係の問題を紐解いていこうとしました。
「これは誰の課題なのか?」と言われても、ピンとこないかもしれないので、「誰がこの行動を選択できるのか?」「最終決定権は誰が持っているのか?」ということで考えてみます。
例えば、夫がお酒を飲むことにイライラしている妻がいたとします。その時に、「お酒を飲むことは誰が選択できるか?」をまず考えます。
妻がどれだけガミガミ言おうが、嫌味を言おうが、夫は手段さえあれば、いつでもお酒を飲むことができます。24時間監禁状態でもしなければ(そんなことをすれば ...
アドラー心理学「嫌われる勇気」承認欲求(6)
承認欲求というのは、「認められたい欲求」です。人は多かれ少なかれ、この欲求を持っています。仕事しているなら、「いい仕事しているね、助かるよ!」と言われるとやる気が出てきたり、勉強しているなら、「テストでいい点を取ってすごいね、本当に優秀だね!」と言われると嬉しくなったりします。
「君は本当に仕事ができないな!」とか、「本当に頭が悪いな!」と言われるのは、決して嬉しくはありません。褒められて嬉しくなるのも、ダメ出しされて、がっかりするのも、自然な反応です。この反応そのものには、何にも問題ありません。
承認欲求とは、「認められたい!」という気持ちが『先』にあって、仕事を頑張ったり、勉強を一生懸命したりすることです。人間誰しも、承認欲求はありますが、この欲求の比重が高くなってしまうと、自分の夢に向かって挑戦したいとか、こういう勉強をしたいとか、自分の成長や楽しさから、物事に取り組むよりも、「人から認められる」ということを目的に努力してしまいます。自分の人生なのに、他人の顔色を伺って生きるような生き方です。
アドラーは、承認欲求が強いのは ...
アドラー心理学「嫌われる勇気」劣等感(5)
今回は、劣等感について見ていきます。前回このシリーズで、「自分が嫌い」な人について書きましたが、「自分が嫌い」も、劣等感を感じているからこそ出てくる気持ちです。
劣等感の言葉の意味劣等感という言葉は、そもそもどういう意味なのか考えた事はありますか。
アドラーはドイツ語の「劣等感」という意味を「劣等感」=「価値」+「より少ない」+「感覚」に分解しています。「~ができない」とか、「人から下位に見られた」「人より優れていない」など、劣等感の感じ方は様々ですが、共通しているのは、確かにいずれも自分の価値が下がったような気持ちになるということです。
無力感を感じたり、自信喪失して自分のことが嫌いになったりすると、自分の価値を正しく認識することが難しくなってきます。
ただ、確認したいのが、そもそも価値というものは、人がどう定義するかでどんな風にも変わってしまうものです。何も決められた「価値」というものがあるわけではありません。これは事実であり、とっても大切な考えです。
「みんな違って、みんないい」金子みすずの「わたしと小鳥と鈴と」と ...