【人間関係の境界線】「私さえ我慢すれば」の思いを捨てること③

境界線の持ち方

シリーズの最終回です。

「私さえ我慢すれば」の思いを捨てること①・・・「自分になっていくこと」について
「私さえ我慢すれば」の思いを捨てること②・・・「自分の万能性を否定すること」について

「私さえ我慢すれば」の思いを捨てること①の記事で、

人が脱いだもの、
人が食べたもの、
人がやるべき仕事、

本当は、心がついてきていないのに、
「私さえ我慢すれば」でやっていませんか?

本来守るべき、自分自身の境界線を放棄してしまうことは、
相手を無防備に、自分の中に受け入れることを意味します。

これは、愛でも思いやりでもないんですね。

どちらかというと、相手の境界線をも崩すお手伝いをしてしまうようなことなんです。
相手も本当は入ってきちゃいけないはずのあなたの領域に知らず知らずのうちに入りこんじゃうんですね。
ただ、これは別のトピックになりますので、また次の記事で書いていきたいと思います。

と書きました。

今回は、ここで書いた「別のトピック」の部分、つまり、

自分が境界線を守らないことで、結果的に、相手の境界線も崩してしまうこと

を取り上げたいなと思います。

まず、「私さえ我慢すれば」の姿勢というのは、本来自分の役割が50であり、相手の役割が50であり、そして、全体で100を目指すものがあったとしたら、

自分の役割を70にすることによって、相手の役割を30にしようとすることです。

勿論、このたとえは夫婦対等とか、人間平等とか、そんな話をしているのではありませんよ。

〜〜

具体例でもう一つ説明します。

Cさんが課長を務めるチームに、Aさん、Bさんという2人の部下がいました。

Aさんが、自分の仕事の役割をしっかりこなしていました。
でも、Bさんは、効率が悪く、スケジュールもうまく立てられず、
いつも残業をしていて、残業しても成果が空回りしていました。

そんなBさんから、仕事を頼まれたAさんは、自分の仕事に追加して、
本来はBさんがやるべき役割も手伝うようになっていきました。

そうすることで、チームは何とかちゃんと回り始め、Bさんも何とか、
仕事をやっていくことができました。

ここまでだと、Aさんはなんていい人、会社のために、全体のために動いた人
と思いがちです。

でも、これは、持続可能であるか、と言ったら決してそうではないんですね。
また、本来、あるべき姿かと言えば、そうとも言えないと思います。

Aさんが、自分の境界線を超えて、Bさんの仕事を手伝ったことにより、

本来Bさんがなすべき役割を果たさなくても、
チームとして回っていくという現実を作り出してしまいました。

すると、Cさんは問題解決をする必要が見えてこなくなってきます。

本来、Bさんの配置、またBさんへの評価が適切なものではなかったかもしれないのに、
Aさんの努力により、問題が陰に隠れてしまします。

組織としては、Aさんのカバーにより何とか回っているリスクの高い状態を、
放置してしまうことにもなりかねません。

本来であれば、Bさんの課題をちゃんと現実化させ、チームとして、全体として、
Bさんへの教育なり、人事配置全体も含め、ちゃんと機能をさせるために、改善させる必要があったことを、Aさんの動きにより、先延ばしさせてしまっているんですね。

〜〜

 

こういったことは、家庭内ではすごく起こりがちです。
そして、最後に書いた「先延ばし」というのが、
数週間、数ヶ月を超えて、何年も何十年もということだって、ありえます。

夫婦の場合は、その結果、熟年離婚・・・
親子の場合は、絶縁関係、全く疎遠・・・

になってもおかしくないわけです。

そして、そこまではならなくても、もし家庭で、Aさんのような役割をずっと続けていたら、
心がどんどん疲れてきます。

最初は、相手のためにと貢献心や思いやりから始めたことも、
だんだんと、「私さえ我慢すれば」の自己犠牲の精神に変わっていったりするんです。

人間の心は、何年も何年も、何十年も、自分の境界線を野放しにできるほど強くないんですね。

そして、自分の境界線をちゃんと守ることで、
相手にもちゃんと境界線を持ってもらう助けをすることができるんです。

先ほどのたとえでも、Aさんが、もし自分の役割に留まるなら、Bさんの問題が明るみになっていくのは時間の問題でしょう。

Cさんにちゃんと助けを求めるようになるかもしれません。
その結果、チームに増員が検討されたり、そもそもの業務の見直しをするチャンスになるかもしれません。

「何とか回していく」ということがどんな時にもいいものではないんですね。

✔︎夫の散らかしたゴミをいつも片付けている奥さん・・・、
✔︎子供が学校に遅刻しないようにと、朝の支度を必要以上に手伝っているお母さん、
✔︎依存症の妻に言われた心ない言葉に傷つきながらも、
自分のやりたいことを我慢し、ひたすら優しく向き合うご主人・・・
✔︎仕事ばかりをしている両親のために、せっせと家事をして年下兄弟の面倒を見るお姉ちゃん・・・

これらは、境界線を超えています。

そして、
✔︎夫は自分が出したゴミを片付けなくていけないという問題に向き合うことを回避でき、
✔︎子供は、遅刻して、先生に注意され、夜更かしをやめなくてはいけないという問題と向き合うことを回避でき、
✔︎妻はお酒を飲み続けられる環境を手に入れることができ、
✔︎両親は、長女に負担をかけないように仕事を見直すという問題を回避でき・・・、

こうして、相手が何か区切りをつけ、本来はしっかり境界線を持つべきものに対して、
向き合うことを回避させてしまいます。

そして、知らず知らずのうちに、「相手の境界線を崩すお手伝い」をしてしまうことになってしまうんです。

もちろん、いっぺんに何かを変えようとすることは、難しいことです。

そして、他人を変えることはできません。

まずは、自分がちゃんと自分の境界線を守る努力を始めること・・・
そうすることで、間接的に、相手も本来持つべき境界線を持ち始め、
向き合うべき課題に向き合う助けをしていくことに繋がるんですね。

それは結果的には、自分にとっても他人にとってもいいこと、
良い関係作りに繋がるんですね。

3回シリーズでしたが、少しでも参考になったよっていうのがありましたら、嬉しく思います。

何か我慢していることがあって、手放せていないなと思うことがありましたら、ぜひ、想いの箱から投函してください。手放し方のアプローチを紹介出来たらと思います。

最初の記事に書いた、最後の文と、同じ文言で、このシリーズを締めくくりたいと思います。

「私さえ我慢すれば」の思いは、昨日を最後に手放しましょう😊

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