「境界線を持つ=冷たい」って本当? 人を大切にするための“距離”の話

人間関係と境界線

今回は、人間関係における「境界線」に
どこか抵抗や違和感を感じている人に向けて書いていきます。

まず最初に断言したいのは、
人間関係をうまく保てている人は
「境界線」が健全に機能しているということ。

なので、境界線=関係性を封印!?
みたいなのは大きな誤解です。

境界線とは、びしっと線を引いて壁をつくるような、
冷たい距離のことではないんです。

境界線とは、シンプルに、
「私は私。あなたはあなた。」
という、人は一人ひとり違う存在であるという
当たり前の事実を尊重すること、他なりません。

「傷ついた」という感情の背景にあるもの

人間関係のトラブルでよく出てくる言葉の一つが、「傷ついた」の感情。
でもこの感情の奥には、こんな前提があります。

「本来あなたは、○○のような態度・発言・行動をするべきではないのに、

その私に対して、そんなことをした。」

「するべきではない」と判断しているのは、
ほかでもない“自分自身”なんですね。

人それぞれ、個々の価値観や基準を持っています。
他人に合わせないといけないルールはそもそもありません。

多くの「傷ついた」という感情は、
たとえばこんな些細な場面から生まれています。

  • 私が嫌いな人を、あの人が応援していた

  • メッセージを既読スルーされた

  • そっけない態度を取られた

などなど。
でも本来、相手には自由があるんです。


誰を応援するかしないかも、返信するかしないかも、
どんな態度で接するかも、すべてその人の自由。
そして、誰に対して態度を変えるかも自由です。

それを勝手に「私との関係ではこうあるべき」と、
意識的であろうがなかろうが、決めつけてしまい、
人間関係をどんどん苦しくしてしまうんです。

「私は私。相手は相手」という感覚を取り戻す

境界線を持つとは、どこまでも次の感覚を持つこと。
「私は私。相手は相手。」

たとえば、相手からそっけない態度を取られたからといって、
「ああ、傷ついた!」と自信を失ったり、
自分の価値を下げてしまうのは、
相手に影響力を与えすぎている状態。

あなた自身も、すべての人に同じ態度を取れるわけではないはず。
なのに、自分がされたネガティブな面だけを切り取って、
相手を裁いたり、自分を責めたりしてしまう――
それは本当にもったいないことです。

境界線があいまいだと、自意識過剰にもなります。
「人からどう見られるか」を過度に気にして、
どんどん“自分”がなくなっていく。

既読スルーされたことに傷つき、
「私は絶対にそんなことしない」と変な決意をして、
誰にでも気を使いすぎてしまったり。

もし誰かがあなたをスルーしていても、
「人ってそういうときもあるよね」と軽く受け止められたら、
むしろ自己認識が整っている証拠です。

境界線は、冷たさではなく“尊重”のあらわれ

境界線を持つことに、罪悪感も抵抗感もいりません。
境界線を持つって、決して冷たいことではなく、
むしろ愛と尊重の行為。

人が人であること。
唯一無二の存在であること。
自分とは違うという、当たり前のことを
心から認めることが「境界線」です。

たとえば親子関係でも、
境界線がしっかり機能している親子は、
子どもが成人してからもとても良い関係を築きます。

親と子という生物学的なつながりはあっても、
DNA構造も性格もまったく違う、別の人間です。
だからこそ、お互いの違いを尊重しあう、
この基本に戻ることは、とっても大切です。

人は人。自分は自分。
その当たり前のことを堂々と認め、
人間関係の中で適切な境界線を持っていきましょう。

今、誰との関係で“相手の感情”を自分の責任にしていますか?

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