アドラー心理学「嫌われる勇気」承認欲求(6)
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承認欲求とは?
承認欲求というのは、「認められたい欲求」です。人は多かれ少なかれ、この欲求を持っています。仕事しているなら、「いい仕事しているね、助かるよ!」と言われるとやる気が出てきたり、勉強しているなら、「テストでいい点を取ってすごいね、本当に優秀だね!」と言われると嬉しくなったりします。
「君は本当に仕事ができないな!」とか、「本当に頭が悪いな!」と言われるのは、決して嬉しくはありません。褒められて嬉しくなるのも、ダメ出しされて、がっかりするのも、自然な反応です。この反応そのものには、何にも問題ありません。
承認欲求とは、「認められたい!」という気持ちが『先』にあって、仕事を頑張ったり、勉強を一生懸命したりすることです。人間誰しも、承認欲求はありますが、この欲求の比重が高くなってしまうと、自分の夢に向かって挑戦したいとか、こういう勉強をしたいとか、自分の成長や楽しさから、物事に取り組むよりも、「人から認められる」ということを目的に努力してしまいます。自分の人生なのに、他人の顔色を伺って生きるような生き方です。
アドラーは、承認欲求が強いのは、他人の人生を歩んでいることで、自分の人生を歩んでいないと言います。どれだけ、社会的地位が高くなったり、人から認められても、自分が心から望むことをしていないのなら、幸せではありません。
承認欲求が強すぎると、自分を生きづらい状況に招き、本心を軽視するので、次第に疲れてきます。また、結果として他人から「認められている」なら良いのですが、様々な人、様々な状況がある中で、いつでも「認められる」とは限りません。「認められたい」のに「認められない」なかったら、その人は心に葛藤を抱くことになります。
認められることを前提に行動しようすると、「認められる」ように行動するので、行動が限定的になり、認められないと、自信喪失や不安につながります。幸せになるために、不健全な承認欲求は切り離したいもの。そうすることで、もっと自由に自分の人生を豊かに歩むことができます。
とはいえ、これまでの教育や両親の育て方などから、承認欲求はそう簡単に捨てられるものでもありません。後半はその承認欲求どう向き合えばいいのかについてです。
でもやっぱり「認められたい!」という思いが強すぎる時は?
「認められたい」気持ちが強すぎるのは、同時に「認められないとやっていけない」という症状が出ています。極端にいえば、人から認められないなら、今自分がしていることに価値を見出せなくなるという状態です。
承認欲求は、自分がやっていることが「認められる」ことによって、価値を見出せるという極めて他者依存のものです。承認欲求の思いが強すぎる時に考えないといけないのは、まずは自分への信頼です。
他者にたとえ認められなくても、他者からたとえ何も言われなくても、自分がやっていることに意味を見出し、価値を見出す工夫です。はっきり言えば、「自己満足」(自己満)です。他者からの評価に依存している人は、この自己満足が上手くできません。
自己満足していても何ら問題がないことに対しても、そんなのはただの自己満だと、自分を受け入れようとしないのです
まずは自己満足ができるようになると、承認欲求はだんだんと弱まっていき、次第にはなくなります。なぜならそれらに頼らなくても、十分すぎるほど価値を見出せ、自分で自分を承認できるようになっているからです。
価値を見出す時に、お金、評価、地位などの目に見える、分かりやすいものばかりを求めようとするのではなく、たとえそれらがどうであっても、今自分がやっていることは絶対に価値のあること、そして、意義のあることをやっていると信じることがスタートです。
信じて、その信念に沿うように日々を過ごし、自分で自分の日々の成長を認め、褒めます。人と比較することを徹底的にやめ、「ただの自己満足に過ぎない」などと自己卑下するのをやめ、自分の人生を自分で肯定し始める努力を始めます。
そのための比較対象は、昨日の自分です。昨日よりも今日うまくできたことに注目します。そうすることで、自分の成長に集中できるようになり、気づかないうちに、成長が積み重なって、自分が思い描いていたこと、望んでいたことが現実になっている歩みができるのです。
承認欲求を持つことは、自分の人生を選択しないこと
承認欲求を持ち続けた場合の危険性は、思ったより実は深刻なものです。
承認欲求はどこまでも他者基準の欲求です。自分の発言、行動、これらを他者に合わせようとしていく欲求です。認める相手はどこまでも「自分」ではなく、「他人」です。
これではいつまで経っても、自分の人生を歩むことができません。自分のことを認めてくれる人、認めてくれる場所を求めて転々としてしまいます。でもどこへ行っても、他人は他人です。自分以外の人たちは、様々です。自分と出会う人は様々で、関わる人も様々な中で、これほど変わりやすい「他者」を相手に、常に承認を求めるのは、実はかなりリスクのある生き方だということが分かってきます。
承認欲求を持ち続けることは、日々、自分の人生の選択しないことと同義です。
起きたことに自然な反応を示しつつ、承認欲求が目的となって何かを選択したり、行動したりしていないか、その裏にある自分の本当の思いは何なのかを常に模索することは、自分の人生を歩むためにとても価値のあることです。
無意識で感じてしまっている欲求でもあるからこそ、何かをしようとした時、何かを感じた時、その思いの背後には何があるのかに注目することで、隠れている承認欲求が見えてきます。もし、他者の承認を求めている行動だったら、立ち止まって、自己成長のための健全な動機は何だろうと思い巡らしてみることです。
人は物事にどれだけでも意味を持たせることができます。そして、自分に持たせた意味によって、毎日を幸せを作っていくんですね。
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