自己認識

今回は、承認欲求について取り上げます。
前回のシリーズ⤵
アドラー心理学「嫌われる勇気」シリーズ④ー「自分のことが嫌い」の思いとどう向き合う!?

承認欲求とは?

承認欲求というのは、ずばり「認められたい欲求」ですね。

人は多かれ少なかれ、この欲求を持っています。

仕事しているなら、
「いい仕事しているね、助かるよ!」
と言われるとやる気が出てくるかもしれません。

勉強しているなら、
「テストでいい点を取ってすごいね、本当に優秀だね!」
と言われると嬉しくなるかもしれません。

逆に、
「君は本当に仕事ができないな!」
「本当に頭が悪いな!」

などと言われると、気持ちが下がってしまうかもしれません。

人に何を言われようが気にしないで!と言いたいところですが、
とはいえ、褒められて嬉しくなるのも、ダメ出しされて、がっかりするのも、自然な反応です。

「人からどう思われるか」が気になるという思いから解放されるには ...

自己認識

今回は、劣等感について取り上げます。

前回このシリーズで、「自分が嫌い」な人について書きました。
「自分が嫌い」という思いも、劣等感を感じているからこそ出てくる気持ちです。

アドラー心理学「嫌われる勇気」シリーズ④ー「自分のことが嫌い」の思いとどう向き合う!?

劣等感の言葉の意味

劣等感という言葉は、そもそもどういう意味なのでしょう?

アドラーはドイツ語の「劣等感」という意味を、
「劣等感」=「価値」+「より少ない」+「感覚」に分解しています。

「~ができない」
「人から下位に見られた」
「人より優れていない」など、劣等感の感じ方は様々です。

ただ、共通しているのは、いずれも
自分の価値が下がったような気持ちになる
ということですね。

無力感を感じたり、自信喪失して自分のことが嫌いになったりすると、
自分の価値を正しく認識することが難しくなります。

ただ、そもそも価値というものは、
人がどう定義するかでどんな風にも変わってし ...

自己認識

今回は、「自分のことが嫌い」という思いを取り上げます。

言うまでもないですが、自分嫌いのまま「幸せ」にはなれません。

人生が充実している人。
何かに挑戦して努力している人。
心から喜んで、他人に尽くしたり親切ができる人。

こんな人は、
「自分」に対して、肯定的であり、「自分」の味方です。

自分が「自分」であることを良しとし、自分を大切にします。

【やる気がない時のすすめ】自分を責めずに、やる気のない自分を受け入れて!
【自責癖をなおしたい!】自分を責めてしまう癖があるときの対処法

一方で、今の現状がもし、

長年、何かに悩み続けている。
自分の人生が思うようにいかない。
対人関係が全然うまくいかない。

のような場合は、自分を肯定的に受け入れるのは難しくなります。

そして、落ち込んでいる自分に対して、

更に落ち込む。
更に自分に対する自信を失う。

というサイクルが続いてしまいます。

アドラーの ...

シンプルに考える

今回は、変化について取り上げます。

アドラー心理学「嫌われる勇気」のシリーズ3回目です。
1回目:アドラー心理学「嫌われる勇気」目的論(1)
2回目:アドラー心理学「嫌われる勇気」選択(2)

アドラーの言う「苦しい生き方」

人は心の中で、「より良くなりたい!」という変化を求めます。
でも、思うように変化できない自分に失望することもあります。
すると、変化を諦めたり、言い訳したり、先延ばししたりします。

それでも「変わりたい」という思いが、完全に消えて無くなるということはないんですね。

「嫌われる勇気」(⤵)では、
こういう状況を「苦しい生き方」(P56)と言っています。

「嫌われる勇気(Amazonで見る)」(岸見一郎著、ダイヤモンド社)

変化することをやめた時に、
同時に「変化したい」という欲求も消えて無くなるなら、シンプルかもしれません。

でも、人間ってそうじゃないんですね。

人は常に向上したいし、幸せになりたいんです。 ...

自己認識

アドラー心理学のテーマの一つ、「選択」について取り上げます。

一つ前のテーマ目的論について↓
アドラー心理学「嫌われる勇気」シリーズ①ー生い立ち・環境・家族のせいで変われない!?には目的論

「選択」は、アドラー心理学では重要な要素です。

毎日は選択の連続

アドラー心理学は勇気の心理学とも言われています。
「何かを選びとる」ということは、同時に「何かを選びとらないこと」
なんですね。
選択するというのは、大小あれ、まさに勇気です。

毎日、勇気を出して生きていますか?
勇気と書くと、何だか大げさな気がしてしまうかもしれません。

けれども、目の前にあるケーキ1つ、ランチ1つ、就職先1つ。
すべて選択したものなんですね。
同時に選択しなかったものを、今この瞬間、捨てているわけです。

日常の中で、「自分は、選択しているんだ」ということを認識できるかどうか。
これは、すごく大きなことです。

というのも、「選択している」ということを認めるまでは、違う ...

自己認識

「何かのせいで、こうなってしまって、変われない!」
と思う時、アドラー心理学にある目的論の考え方が役に立ちます。

「嫌われる勇気」(岸見一郎著、ダイヤモンド社)という本、
読まれましたか?

 

「嫌われる勇気(Amazonで見る)」(岸見一郎著、ダイヤモンド社)

今回は、この本のテーマになっているアドラー心理学にある目的論について取り上げます。

原因論では、変えられない過去に今が支配されてしまう

目的論は、「嫌われる勇気」の本の最初に取り上げられているテーマです。

目的論とは、
「○○だから△△が起きた」という因果関係を持たせる「原因論」
と反対の立場をとっています。

通常、何でも因果関係で考えてしまうことが多いと思います。
例えば、
慌てていたから忘れた。
食べたから眠くなった。

などなど。

私たちの頭は、「○○だから△△が起きた」
と、無意識に考えています。

それに対して、
目的 ...

境界線の持ち方

今回は、
アドラー心理学「嫌われる勇気」シリーズ⑦「課題の分離」前半ー人は人。自分は自分。
の続きです。

他人への過度な気遣いによって、課題の分離ができない!?

アドラーは悩みのほとんどは対人関係であるといっています。
そして、課題の分離ができていないことで人間関係の問題が生じると言います。

課題の分離がなぜ難しいのか。
その一つに、自分は課題の分離をしても、相手は課題の分離をしない/できない
と心のどこかで思っているのが邪魔をします。

一言で済ませるなら、
相手のことはいいから、自分ごとに集中しましょう。
相手の心配はお節介です。

【親切?アドバイス?コントロール?がうっとうしい!?】お節介な人との向き合い方
【要注意】「あなたのためを思って言うけれど」の発言について

となるのですが、一言でサラッと切り替えられないほどに、
「相手」のことを見てしまう癖がついているんですね。

つまり、課題の分離をしたいけれど、心の中で、
「あなたは ...

境界線の持ち方

今回は、アドラー心理学のメインテーマとも言える

課題の分離

について取り上げたいと思います。

課題の分離は、まさに境界線。
境界線とは、まさに課題の分離。

他人は他人。自分は自分。

この境界線が日常の実践レベルでできるようになると、
ほとんどの悩みは吹き飛んでしまいます。

今回のテーマは、2回に分けて、紹介したいと思います。

課題の分離とは何か?

まず最初に、そもそも課題の分離とは何か?についてです。

課題の分離とは、

課題が誰に所属するのかを明らかにして、
自分以外の課題を切り離し、自分の課題に取り組むこと

です。

もっと加えるなら、

自分の課題にもくもくと取り組むこと

です。

他人の課題を自分の課題として悩み、苦しむことはしません。
逆に自分の課題を他人になすりつけることもしません。

こころの栄養のブログは、心軽くを大切なテーマとしています。
心軽くするた ...

心が軽くなる考え方

今回は、アドラー心理学について取り上げます。

私は、カウンセリング手法として、特定の心理療法をサポートしているわけではありませんが、家族問題については、アドラーの考え方をおすすめしています。今回は、その理由について書いていきます。

1、課題に分離について扱っているから

家族問題というのは、多くの場合、「あまりにも密接した」関係の中で生じてしまいます。友人関係や仕事の悩みとは少し種類が違って、お互いが、いい意味でも悪い意味でも「あまりにも親密」になりすぎた為に起きてしまった問題が多いです。

「親密さ」は家族関係には確かに必要なものであるけれど、同時にこの「親密さ」ゆえに、本来は相手の領域であるにも関わらず、土足でずたずた入り込んでしまうようなことがあります。相手の問題であることも自分の問題かのようにして、次第に癒着し始め、大きな問題につながってしまうのです。

家族問題のテーマのカウンセリングは、様々なものがあります。親からひどい悪口を言われた、配偶者の浮気、離婚、依存症、DV、うつ、引きこもり、ギャンブルなど様々です。ただ、課題は様々で ...

心が軽くなる考え方

今回は、自己中心性について取り上げます。

アドラーの言うもう一つの「自己中心性」

自己中心的な人といえば、どんな人を思い浮かべますか?自分勝手な人、自分本位な人、自分の思い通りにするために、他人を困らせたり、迷惑をかける人をイメージするかもしれません。

こういう人は確かに自己中心な人ですよね。世界がまるで自分中心にすべて回っているかのように振舞います。

逆に、自己を無にして、家族のために、誰かのために身を粉にして働いたり、息子や娘のために、何から何まで尽くす人もいます。

ただ、このような他者への貢献の場合、もし、必死に頑張った人たちが、周りの家族から、何も感謝されなかったり、むしろありがた迷惑のように扱われたら、どのような気持ちになるでしょうか。

自分がやっていたことは、間違っていたのだなと素直に認められたらよいですが、心の片隅でどこか「こんなにやったのに」という不平不満が出てくる可能性が大いにあります。

そうなると、自分がやってきたことが全て否定されたような気持ちになって、大きく落ち込んだり、虚しくなってしま ...