【他人の要求に応えてばかりで疲れている人へ】ノー(No!)を言うことの始め方

境界線の持ち方

今回は、境界線の中でも、「自分の境界線を守ること」について取り上げます。

「自己都合の要求ばっかり主張してくる人」には、はっきりノーと言うことは、自分の境界線を守るためには必要不可欠です。

イエスとノーは対等です。

しっかりとノーが言えるようになること、これは、境界線においてはとても重要です。

たとえば・・・

■身体が疲れていて、休みたいにも関わらずしつこくセックスを強要してくる妻・・・
■車を持っているという理由だけで、子供の送迎を頼んでくる同世代のお母さん・・・
■親の仕送りを当てにして、お金を請求し続ける子供・・・

彼らは、境界線が曖昧になっています。

「私のものは私のもの。あなたのものも私のもの。」

という状態が起きてしまっています。

もし、あなたが妻に合わせ、友達を車に乗せてあげて、子供にお金を補充し続けているのなら、「いい人」ではなくて、「使われる人」になってしまっています。

もし、「使われる人」になり続けると、要求してくる相手はどうなっていくでしょうか。

それは、

もっと主張

してくる可能性があります。際限なくです。

図々しい人はどこまででも図々しいし、自分の要求を是が非でも通そうとする人は、し続けます。

さすがにもう言ってこないだろう

は通用しません。

さすがにもう言ってこないだろうとするためには、ちゃんとノーを示す必要があります。

だからこそ、しっかり境界線を持つことが必要なんです。

これくらい・・・と思ったら、最後、もっと主張されるかもしれません。

あなたが100出してくれるなら、150要求する。150出してくれるなら、200を要求する。これが、要求ばっかり主張する人の特徴です。

自分の労力、時間、お金、気持ちなどを差し出し続けていると、「際限がない」ので、あなたの負担、つまり労力、時間、お金、心労だけがどんどん増えていきます。

最初はできていたことも、我慢やイライラが溜まってくるのは時間の問題です。

そういう人間に対しては、ちゃんと「ノー」を言いましょう。そうしないと、自分の心がどんどん磨り減ってしまいます。

ノーと言うことができない人は、まるでノーということを、

「できるだけのことはしたいという思い」
「不親切」
「冷たい」
「愛情の欠落」
「努力不足」
「世間体やその他のしがらみからできない」

などなど色々な捉え方をして、重荷を持っています。

つまり、結局のところ自分でノーを言えなくするストーリーを自分で作ってしまっているんですね。

こういう思いが心をずっしり重くさせ、気持ちを落としてしまいます。

ノーと言うことをせず、相手の要求を通してあげた結果、気持ちが下がったり、そうかと思えば、だんだん怒りが湧いてきたり、自分の無力さを感じたりします。

このような感情は、自分を傷つけてしまいます。

ノーと言うことは、不親切でもなく、冷たくもなく、愛情の欠落でも何でもありません。

あなたが自分の感情(もしくは状況)を冷静に把握し、相手の要求をしっかり聞いているからこそ、発せられる言葉

です。

ノーと言うことは、

相手への敬意と自分への敬意

です。

あなたはノーという自由があります。いつもです。

実は、ノーと言えない人は、他人のノーも肯定的に受け止められません。その結果、いつもあなたに気を遣ってイエスを言ってくれる人とばかり関わってしまうことにもなりかねません。また、あなたがノーと言うと、相手は怒り、不快な態度を表すかもしれません。

【人間関係の境界線】境界線を持つことによる3つのリスク

でも、逆に、全部自分の思い通りにしたい人と関係を深めたいですか。お互いが本当の気持ちを言えないような人間関係を望みますか。

それとも、お互いの気持ちを尊重し合う関係を持ちたいですか。

自分の幸せは「ノー」で守っていくことができます。

そしてノーがちゃんと言える関係性は、とても健全で豊かな関係性へとつながっていきます。

「自分の要求ばっかり主張する人」には、はっきりノーを言いましょう。

もしノーと言えない出来事があったら、想いの箱から言葉にして、送って下さい。糸口はあります。

あなたは誰の奴隷でもありませんから。

 

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