【地獄の言葉】他人から暴言を吐かれたら?我慢しているあなたへ!

シンプルに考える

地獄の言葉とは、強烈に傷つく言葉です。
強いものだと「死」が出てくるような強い暴言を指します。

今回は、暴言で統一します。

まず第一段階として、受け入れがたい暴言している人が身近(家族など)にいる場合は、病気を疑ってください。
精神疾患の病名、依存症、認知症など、何かしらの病気に当てはまるような行動がないかです。

暴言は、まともな精神状態ではありません。
一時的なヒステリックとか、カッとなって言ってしまったのかとか、言い訳なしです。

他人に甘すぎて、自分に厳しすぎて、受け入れてしまうことなどないように。
限度を超えていて、明らかに問題があります。境界線が必要です!

今回は、タイトルからして、ちょっと過酷なテーマですが、
捉え方次第で、暴言すらうまく扱えます。

こころの栄養は、どこまでも心軽く!を大切にしていきます。

こころの栄養とは?

暴言を言う相手はまともじゃない!真に受けないこと

まず、最初に、人から言われた暴言、絶対に、真に受けないでください。

私は、あまり「絶対に」という言葉をブログの中でほとんど使いません。
でも、今回のテーマにおいては、「絶対に、真に受けないで!」と言います。

心が柔らかい人は、もしかしたら、耳に入れたくない暴言を吐かれたにも関わらず、

暴言に値するようなことをしたのか?
自分はそんなにも相手を苦しめたのか?
私に問題があるのか・・・?

なんてこと、考えていませんか?

異常な暴言を発した本人は病んでいるにも関わらず、

「どうして、そんなことを言われないといけないんだろう?」

自分ごとのように真面目に考えていませんか?

実はこれ、無意識に状況を「まとも」である前提にしています。

はっきりさせましょう。
暴言を発せられる状況は「まとも」じゃないんです。

人間には、時によって色々な状態があります。

少なくとも、今はまともな状態じゃないんです。

まともではないことを、まともに考えようとすることは、自分を更に傷つけます。
そして、自分のこころを重たくします。

こころの栄養は軽く考えるんです。

誰かの暴言に対して、相手のことを、「ボロボロに傷んでいるんだな」と割り切れている人は、うまくスルーします。
そして、それほど悩みませんし、場合によっては穏やかに言い返したりもできます。

でも、重く考えるなら、どこか犠牲的になって、殉教者的になって、

「私さえああしなければ」
「こうしなければ」

なんて、まともに思ってしまうんです。

人から言われた暴言をきっかけに、自分に刃を向けるような思考をすることは、とっても危険です。

一つの思考が、自分に対する自己認識をどんどん歪めてしまうことがあります。
そして、場合によっては、真に受けて、

「自分は暴言を言われるに値する人間だ!」

なんてとんでもない認識を持ってしまうことだってあるんです。
すると、思考はどんどん深みにはまり、縛られていきます。

今すぐ、その思考のループはやめましょう!

人から言われた暴言は必ず受け入れ拒否!

ちなみに、相手の暴言を受け入れてしまったら何が問題なのか?というのはもう一つあります。
(受け入れるとは、ここでは『自分は悪い』などの態度を持つことです。)

こういう態度を取り続けている場合、

人から軽視されることを許容している可能性

があるんですね。
もっと簡単に言うと、「人からナメられることをOKとしている」ということです。

そうなると、負の連鎖が続いてしまうんです。

暴言をした人が何かしらの精神疾患、依存症などを患っているかもしれません。
病気の症状から、突発的に発言してしまったということは確かにあるかもしれません。

でも、理由はともあれ、受け入れる必要は全くありません。
他人の事情は他人のことです。
家族であれ、自分以外の人は一度自分としっかり切り離します。

自分が人から粗末に扱われることを受け入れる
必要はどこにもありません。

【TJT】他人によって、自分の価値を高めてもらおうとする考え方を手放すメリット

受け入れ拒否です!

人は自分で決意して変わるということ

ちなみに、良く考えたらとってもおかしな相手の非常識な行動を受け入れるということ。
なんでこんなことしてしまうのでしょう?

もしかしたら、実は心の底では、

相手が変わることを期待してしまっている

場合があるんです。

???と頭が混乱するかもしれません。

暴言を吐いて、怒りで人を変えようとコントロールするのは何となくわかるけれど、
暴言を受け入れることで、人を変えようとしている!?

実は、近しい関係性、例えば家族間で共依存関係になっていると起きたりします。

自己憐憫になりやすいのもこのタイプです。

「こんな、かわいそうな私。」
「こんな、傷ついている私。」

なのだから、

「相手よ、変われ!」

と結局相手に対するコントロールや操作的な思いが潜んでいたりするんです。
大抵の場合は、無意識ですが。

泣きじゃくる姿とか。弱弱しい態度をあえてとるとか。辛いんだよアピールとか。
こういう人たちは、人に対してのコントロールが出てきている可能性もあります。

この場合は、

自分以外の他人は自分によっては変わらない

ということを認めるとどんどん楽になっていきます。

暴言を言うような人に対し、泣き叫んでも、怒鳴り散らしても、無視しても、懇願しても、相手は変わりません。
相手は相手自身が変わると決めて、変わり始めます。

自分は自分。他人は他人です。境界線がとっても大切です。

人間関係の境界線とは?
人間関係の境界線ってそもそも何!?どんな人が特に必要!?

あなたが自分に厳しくしたり、
いい人になったり、
暴言を言ってくる人を受け入れても、
相手は変わりません。

相手は、相手が決断して変わります。

やることは、自分の人生に集中するだけです。
自分の幸せを堂々と最優先していきましょう。

自己認識コーチング→バーネットなおコーチング
ブログ記事に関する質問やコメント→想いの箱(メッセージ)
こころの栄養ブログのテーマ→こころの栄養とは?
境界線とは何か?→人間関係の境界線について

Posted by kokoronoeiyo