【地獄の言葉】家族から「死ね」と言われたのに我慢しているあなたへ!

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地獄の言葉とは、傷つけられる言葉、強いものだと「死」が出てくるような強い暴言から、日常的に言われる悪口、言っている本人は、悪気すら持っていない嫌味まで指します。

まず第一段階として、このような発言している家族が身近にいて、病名がついていない場合は、病気を疑ってください。精神疾患の病名、依存症、認知症など、何かしらの病気に当てはまるような行動がないかです。

「死ね」という発言をするのは、まともな精神状態ではありません。

たとえ病名がついていなかったとしても、家族に対して、死ねと言える時点で、相当その人の心は、病んでいます。

一時的なヒステリックとか、カッとなって言ってしまったのかとか、言い訳なしです。

他人に甘すぎて、自分に厳しすぎるあなたは、「死ね」と言った家族を、受け入れてしまうことがあるかもしれません。でも、限度を超えていて、明らかに問題があります。

今回は、タイトルからして、ちょっと過酷なテーマですが、すごく心が傷つく言葉であり、長期間にわたって、心が重くなってしまう原因になりうるので、取り上げます。

こころの栄養は、心軽く!を大切にしているからです。

こころの栄養とは?

暴言を言う相手はまともじゃない!真に受けないこと

まず、最初に、家族から「死ね」と言われたその言葉、絶対に、真に受けないでください。

私は、あまり「絶対に」という言葉を意識的に使わないようにしているんですが、今回のテーマにおいては、絶対に、真に受けないで!と言います。

と言われても・・・難しいかもしれません。

あなたは、もしかしたら、「死ね」などと耳に入れたくない言葉を言われたにも関わらず、

『死ね』と言われるようなことをしたのか?
自分はそんなにも相手を苦しめたのか?
私に問題があるのか・・・?

なんてこと、考えていませんか?

ちなみに、「死ね」などという異常な暴言を発し、発言をした本人は病んでいるにも関わらず、

「どうして、そんなことを言われないといけないんだろう?」

自分ごとに考えてしまうのは、相手が「まとも」である、信じようとしています。

相手を自分と対等に置こうとしています。

相手はまともな状態じゃないんですね。その相手が、親であったり、子供であったり、配偶者であっても、まともな状態ではないんです。人間には、時によって色々な状態があります。

少なくとも、今はまともな状態じゃないんです。

まともではないことを、まともに考えようとすることは、自分を更に傷つけることになり、自分のこころを更に重たくします。

こころの栄養は軽く考えます。問題があることを直視しないというのは、逆に、無理な力が常に働き、心が重たくなっていきます。

家族から言われた暴言というのは、頭だけでは理解できない苦しみが残るものです。

それはなぜかというと、本来は最も安全である場所、守られる場所が、危険にさらされたからです。だから、通りすがりの誰かや、見知らぬ誰かに言われるのとは、桁違いの衝撃を受けます。

家族の誰かに「死ね」と言われても、その相手のことを、「今は、心が腐っているんだな。」と割り切れている人は、それほど悩みませんし、強く言い返したりもできます。

でも、そう割り切ったり、言い返さないのは、どこか犠牲的で、「私さえああしなければ」「こうしなければ」と思っていることはないですか?

「死ね」と言われたことをきっかけに、自分に刃を向けるような思考をすることは、非常に危険です。

こういう一つの発言がきっかけとなって、自分は「死ね」と言われるのに値する人間だと、本当に思ってしまうこともあるんです。

そうすると、思考はどんどん深みにはまり、縛られ、どんどん、苦しい方向へ向かってしまうんです。

人から言われた暴言は必ず受け入れ拒否!

そして、もう一つ問題が、このようにあなたが相手の暴言を受け入れてしまい、まして、自分への刃を向けることをやってしまうと、結果的には、相手が「死ね」のような暴言をあなたに吐くことを許す、つまり受け入れることを意味します。

受け入れるとは、自分も悪かったのではないかという態度を持つことです。

こういう態度を見せていく場合、相手はあなたをどんどん軽視し始める可能性があります。そうなると、益々、負の連鎖が続きます。

「死ね」というような発言をした人が、何かしらの精神疾患、依存症などにより、病気の症状から、突発的に発言してしまった、自分のコントロール外で発言してしまったということは確かにあります。

でも、だからといって、許容はしません。ここで重要なのは、「あなたが事実、傷ついた。」ということです。

しばらく経てば、本人も反省して、謝ってくるかもしれません。でも、「死ね」と言われたのは事実です。言葉に傷ついたのは事実です。それについて、どうするかは、あなたが自由に決断できます。

傷ついたことは、傷ついた、悲しかったことは悲しかった、自分の大切な心が砕かれた…それは決して軽んじられるものではありません。

それを、「相手は病気なんだ、病気なんだ」と呪文のように言い聞かして、相手を受け入れ、自分がゴミのように扱われることを受け入れる必要はどこにもありません。

たとえ家族が病気であろうが、あなた尊さの価値には何も変わらないんですね。

他人によってあなたの価値は変わらないので、誰かに「すごい!」と言われても、あなたの価値は変わらないし、他人に「死ね!」と言われても、あなたの価値は変わりません。

どんな人からも、あなたは軽視されてはいけない存在ですが、時として、軽視してくる人がいることは事実です。だから強くなる必要があります。

私たちは誰でも、生きて、人生を楽しむことに値します。他の誰も、その権利を奪うことはできません。なので、物理的に奪おうとしてくる人からは逃げてください。距離を持ってください。

「死ね」と言われる何かが自分にはあったなどと、自分に嘘をついて、心の病んだ人をかばい続ける必要はありません。

諦めと絶望から、何を言っても、ますます病気が進行するだけだと思い、自分が虫けらのように扱われることを受け入れないでください。

人は自分で決意して変わるということ

どうしたら、暴言を受け入れられない勇気を持つことができるについて、最後に話します。

それは、相手は決して、あなたによって変わることはないということを認めることです。

「死ね」と言ってきた家族に対し、泣き叫んでも、怒鳴り散らしても、無視しても、懇願しても、変わりません。

相手は自分で変わると決めて、変わり始めます。自分は自分。他人は他人です。境界線を持ちます。

人間関係の境界線とは?

人間関係の境界線ってそもそも何!?どんな人が特に必要!?

あなたによっては、変わりません。

あなたが自分に厳しくし、暴言を言ってくる人を受け入れても、相手は変わりません。

もし、相手が変われば、つまり、暴言を言う人でなくなれば、また人生を楽しむことができると思っているのなら、それは来週に裏切られるかもしれません。来月かもしれません。2〜3ヶ月後かもしれません。

相手は、自分で決断して変わります。

今、沢山の恐れ、不安、心配、恐怖があると思いますが、自分の幸せを堂々と最優先してください。

相手の出方、相手の行動の仕方によって、あなたがコロコロ変わる必要は全くありません。

あなたは誰の奴隷でもなく、とても尊い人です。

あなたが歩む道を、勇気を持って、あなた自身が、あなたのために作っていってください。心にぐちゃぐちゃした思いがあるときは、想いの箱にメッセージを送って下さいね。応援しています。

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Posted by kokoronoeiyo