二者択一、選択できずに悩んでいる時
Aを取るか、Bを取るか、迷うことってあると思います。迷っている時って、頭の中で、ずっとあれこれ考えているから、車の空ぶかしみたいな感じで、あんまり心地よくないんです。
迷っているときは、誰でもいいから、相談できる人に、話してみることが一つの方法です。そうすると、何かしらの答えが返ってきます。
その言われたことに対して、「やっぱりそうだよね〜」と思うか、「いや〜そう言われてもな」となるか、「うわ、相談しなきゃよかった」となるか、どんな反応になるかは相談してみないと分かりませんが、相手がどんな人かは気にせず、自分の反応がどの反応になってもいいから、相談してみる価値はあります。
なぜなら、少なくとも、相手が言った何しかしらのことに対して、自分の反応が、分かるからです。知りたいのは自分の反応です。選択するのは、自分ですので、相手の言葉は正直、どうでもよく、自分の反応が知りたいんです。
迷っているからこそ、実は自分が何をしたいのか、何を考えているのかすらわからなくなることってあります。だから、言われたことに対する自分の反応は、どんなものであれ、悩んでいる事柄に対して、何かしらの選択をする上での一つの判断材料になります。
もう一つ、迷っているときは、Aか、Bのどちらか2つしか見えていないことが多いですが、実はA’があったり、B’があったりします。Aではないけれど、似たようなものだったり、妥協案だったり。そういうのは、あえてどちらかに決めようとしないでおくと、見えてきたり、急に現れてきたりします。
無理やり自分で決めようとすると、AとB以外を排除しようとしますが、流れに任せていると、意外とポンと妥協案が出てきたりします。
人と話している間に、落とし所が見えてきたり、それもいいかもと思える代替案が見えてきたりします。
悩むってことは、本当は心のどこかに、Aでも、Bでもないなという思いがあったりするんです。でも、今は自分の中には、AとB以外がないから、だから、決められない。迷うんですね。
そういう時に、焦って、無理やり決めようとしないことです。無理やり決めるのは、どこか苦しみを伴う変な力が働いてしまいます。
無理やり決めようとするのではなく、まあとりあえず成り行きに任せるというのも、全然、ありなんです。日が経っていったり、先延ばしにしているうちに、だんだん見えてくるというのがあるんです。
ある意味では、自分で決断することを放棄する、もう任せちゃうという姿勢です。
真面目すぎる人はこういうことがなかなかできません。なんか他力本願的で、なすべきことをしていない、本来のあるべき形でないとすぐに思っちゃうからです。
全てのことを自分で判断して、自分で選択して、自分で道を切り拓いていく・・・そんな気概は確かにかっこいいかもしれませんが、人生は自分の想いだけで進んではいきません。何らかの外部の事情で、予定が大幅に変わることもあれば、前提条件が変わることもあれば、色々変化に応じて、自分の計画通りにいかないことはあるわけです。
そんな時は、あんまり固執せず、「なるようになるわ」くらいの気楽さがあった方がいいです。
AかBのどちらかと考えている時点で、とても気持ちが重くなるなら、どっちでもいい、どっちになったって大丈夫だし、それ以外に道があるなら、それでもいいと気づく時です。
悩むくらいのことだから、実はとっても大事だと考えてしまうけれど、でも、本当は逆で、悩むくらいのことは、どっちでもいいことなんです。人は本当に欲しいものを知っています。本当に大切なもの、本当に欲しいものに対しては、悩むことなく選ぶんです。どっちもどっちだから悩んでいるんです。だから、悩んでいることは、時間経過と共に、答えが次第に、明らかになるのを待てばいいのです。
写真:山形県 蔵王温泉スキー場
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