現状に不満を抱えて、変化を強く望んでいる人がまず始めること
現状に不満を抱えて、変化を強く望んでいる人がまず始めることは自己受容です。
心のこと、気持ちのことについて考える時、「変化」をセットで考えることが多いと思います。
今の状況を何とか「変えたい」という思いです。
何かを変えていかないと、
何かを始めないと、
何かをやめないと、
この現実は変わらない!!
と・・・。
この思いが強いことは、逆に心の負担になってしまうこともあります。どこか焦り、イライラした気持ちをもたらすからです。
「変化」を求めている人に伝えたいことは、「変化」は特効薬ではないし、
一瞬で効く薬は、副作用も強いということです。
変化を起こそうと、これまでやってきたことに、蓋を閉め、もう過去の過ちは良くわかった!もう、うんざりだ!もう金輪際、これまでの生き方はしていかない!という決意を固めます。
一見、素晴らしく見えます。
希望が漲っているように見えます。
何か大きなことが起きるように見えます。
でも、一つだけ落とし穴があるんです。
それは、それまでの過去、過去を作っていた、環境なり、考え方なり、態度なり、関わり方なり・・・そういったものをやめると、
(大きな)変化が起きる、(大きく)幸せになれる
と錯覚してしまうことです。
なぜこれが落とし穴かというと、
〇〇したら、〇〇になる
という思考は、
これまでの過去の考え方や態度、関わり方を変えなければ、凄まじく不幸になると考えてしまっていることと同じだからです。
それは、「今のままの自分=不幸」と自分が自分に語ってしまっています。
もし、何か良いものをもたらしたいがために、現状を変えたいために、
やめるか、やめないか、
始めようか、終わらせようか、
そのようなことを考えている時には、心がとても窮屈になってしまっているから、バランスを取り入れてほしいなと思います。
それは、
やめてもやめなくても、
始めても、終わっても、大して変わらない
と、一瞬白旗をあげるかのように見える、どっしりと構えたゆとりを持つことです。
これは、決して諦めではありません。
物事を大げさに捉えない、余裕の表れなんですね。
心が満たされていない時、その毎日はせわしなく、満たされません。余裕がないというのは、心にとって、飢餓状態なんですね。
何かをやめたら、何かすごいことが起きる
ではなくて、
やめてもやめなくても、大して変わらない
くらいのゆとりを持って見てください。その上で、できること、やりたいことを少しずつやっていくんですね。自己否定から何かをするのではなく、自己受容の上で、何かをしていくということです。
急な変化を求めて、今日明日、自分がやること、始めること、自分の成果、自分の行動にあまり期待しすぎるのをやめていきます。その代わり、目に見える変化はそれほどないけれど、それでも、確実に一歩一歩歩み始めている自分を受け入れます。
変化していないように見えるそのままの自分を受け入れることができたら、凄まじい変化が実は内側から起き始めています。
こころの豊かさとは、一見矛盾したようなところに潜んでいることがよくあるんです。
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