家族からの暴言、悪口に傷つけられた時の向き合い方

気持ちとの向き合い方

今回は、家族から暴言、悪口を言われた時にどのようにして、気持ちを落ち着かせ、最悪な事態をやり過ごすかについて書きます。

暴言も悪口も最悪です。身体的なことに対する批判だったり、人格を否定する言葉だったり、性格を指摘する言葉、もしくは無能や愚かさ、無力さ、無価値を相手に認識させるような言動です。

暴言、悪口は、1:1の人間のコミュニケーションをしていません。一方通行で投げやりです。会話でない会話は付き合ってもろくなことがありません。だから、怒りやイライラ、不満や文句からくるこの暴言、悪口を「鵜呑み」にしてはいけません。間違っても、怒っている人から言われた言葉を真に受けて、私は全く能力がないのか…、私は何もうまくできないのか…、と思ったりしません。彼らに言われた暴言、悪口「そのもの」は無視です。会話の内容が何であれ、暴言、悪口という形で言っている以上、まともに聞くことは自分の心を傷つけます。

代わりに無視しないものは、「こういうことが起きてしまった状況」です。今回は、こういう事態になった時の向き合い方について書いていきます。

家族から暴言、悪口を言われた時の3種類の反応

自分に対して、相手が怒りや不満をぶつけてきた時、暴言、悪口を言ってきた時の受けとめ方を主に3つに分けます。

  • 1)怒りのみが出てくる時
  • 2)悲しみが怒りに豹変する時
  • 3)悲しみが悲しみのままに留まる時

1)は、即座に言い返す状態です。いわゆる喧嘩、口論はすべてこれに当たります。

2)は、言われた後、反応まで少しのブランクがあります。人によって、この長さはバラバラです。暴言、悪口を言われ、傷ついている心の逃げ場を探し始めます。そして、傷ついている自分を見て、こんな状態(相手に反応して落ち込んでいる自分に対しても、そうさせてしまった相手にも)にさせられたことに、徐々に怒りが出てくるのです。そうすると、段々と隠れていた怒りが様々な姿に変わって出てきます。相手への脅し、嫌味、軽蔑、極端な無視・・・などなど。多くの人はこれをしてしまいます。

3)は、言われたことにその時悲しみ、思いっきり悲しみます。でもそれ以上でもそれ以下でもありません。自分に向かって放たれた怒りを、跳ね返すことなく、涙で全部を包み込んでしまうようなイメージです。

人はコントロールされることを嫌う

3つの反応を書きましたが、ここで原則として知っておきたいことが、「人は自分の意志に関わらず、人からコントロールされることを嫌う」ことです。仕事中でも、やらされ感満載で仕事している人の態度を見れば、一目瞭然です。人は自らの意志に反してやること、無理やりコントロールされることに不快感を覚えます。

怒りというのは、大きな声をあげたり、傷つくような言葉を言ったり、もしくはモノを投げる、壁を蹴るなどの演出も混ぜながら、自分の感情を表明し、相手をコントロールさせようとする行為です。コミュニケーションをとって、対話で解決をすることをサボり、力ずくで、安易に、早急に、思い通りに他人を動かそうとする意図が隠れています。

人間関係の衝突は、相手をコントロールしようとした時に起きます。怒りという気持ちは相手へのコントロールを含んだ硬いボールなのです。

先ほど挙げた3種類のうち、1)も2)も相手をコントロールしています。怒りを持った相手に、怒りで応えることは、今度は、自分も相手をコントロールしようとする行為です。復讐です。コントロールが入れば、またそこには人間関係の衝突が新たに生まれます。その結果、喧嘩は時間を経て繰り返され、連鎖するのです。

復讐心がすべてを破壊する

唯一、3)だけが、怒りに対して、怒りを生み出していないので、コントロールしていません。もし、そんなのただの泣き寝入りじゃないか!と思うなら、それは復讐心があるからです。

怒りに対して、怒りで応答する。これは復讐です。3)は復讐心を持ちません。ただ、起きた事実だけを悲しみ、深く悲しみ、それ以下でもそれ以上でもありません。翌日になって、ああ言いかえしてやろうとか、家を出て行ってやろうとか、しばらく家事を放棄しようなどとも考えません。ただ起きた事実に深く悲しんだということだけです。

復讐を考えている人の心には平安もなく、幸せもありません。敵対心に燃え、イライラし、欲求不満に陥っています。復讐目的で、何かに勝利しようとしたり、相手を屈服させようとするのは、その結果何を得られるかに関わらず、それをしようとしている段階で、本人の幸せは完全に破壊されています。

「何かがきっかけで、心が破滅している1人の怒りに便乗して、自らも破滅に導くことなかれ」です。

周りの環境がどうあろうとも、自分の幸せを奪わせない覚悟をしてはじめて、怒りを怒りで応答しない強さが湧いてきます。怒りを怒りで応えないのは、死守する価値のある行動です。