アドラー心理学「嫌われる勇気」選択(2)

心が軽くなる考え方

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「嫌われる勇気」(岸見一郎著、ダイヤモンド社)から、アドラー心理学をテーマに取り上げています。今回は2回目「選択」について取り上げます。

1回目の目的論について→アドラー心理学「嫌われる勇気」目的論(1)

選択は、アドラー心理学では重要な要素です。

アドラー心理学は勇気の心理学とも言われていますが、「何かを選びとる」ということは、同時に「何かを選びとらないこと」でもあり、勇気が試される瞬間です。

勇気と書くと、何だか大げさな気もしてしまうかもしれませんが、ケーキ1つ、ランチメニュー1つ、志望校1つ、就職先1つ、すべて選択したものであり、同時に選択しなかったものを、今この瞬間は捨てています。

日常の中で、この「選択している」ということを認識できるかどうか。逆に言えば、「選択している」ということを認めるまでは、違う選択はできません。

「選択している」ことを認めないなら、実は選択できるにもかかわらず、「たまたま」とか「ならざるをえない」とか、他の何かによって、誰かによって、この状況にさせられた、不可避的なものと見てしまいます。

この気持ちを持ち続けている限り、人は幸せになれないとアドラーは言います。

とはいえ、「わかっているけれどできない」という思い。人間、誰にでもあると思います。わかっているけれど、実行できない。わかっているけれど、ついていけない。わかっているけれど、逃げてしまう。

まだ言っている?「頭ではわかっているけれど、できない」の対処法

わかっているけれどというのは、「頭」では理解しているけれど、「心」が理解していない。つまり、頭では分かるけれど、気持ちがついてこない時。

「頭」では理解するというのは、ただ単に知識として、情報として知ることだけです。「心」でも理解するとは、それを自分のことに置き換えたり、自分の頭で更に考えることです。

賛成であろうが、反対であろうが何かしらの意見を持ったり、思い巡らして、洞察を深めてみたり、感じてみたり・・・こうする過程で徐々に「心」でも理解していきます。

アドラー心理学「嫌われる勇気」全体論(8)

そういう意味では、「心」で理解するのは、少し時間のかかるプロセスです。

今回の『選択』のテーマも、「日々起きることは、すべて私が選択した結果なんだ」と情報として知るだけではなく、つまりそれはどういうことなのか、どこを改め、何の選択をとっていて、何を捨てているのかなど、情報から自分の生活に当てはめ、噛み砕くことによって、少しずつ「心」で理解できるようになってきます。

時間がかかるプロセスです。

今もし自分が不幸せと感じていて、「その不幸は自分で選んだ結果ですよ」と言われるのは、冷たく聞こえるかもしれませんが、実は救いです。

もし、それが他の何かによって強制的に不幸に落としめられたら、そこから脱出できる保証はなく、絶望的です。でも自分で選んでいるなら、この自分が選び方(考え方)を変えることによって、状況が変わるという希望があります。

夫からのDVを受けている人、子供から身体的な暴力を受けている母親、配偶者の不倫や、家族の不治の病・・・このような状況は確かに悲惨です。でも、その悲惨な状況の中で、泣いて、怒って、憎んで、文句をつぶやいて、復讐しながら過ごすのか、それとも、そこから意味を見出し、新しい選択をとるのかは本人の自由です。

誰々のせい」にしている間、人間は変わることができません。アドラー心理学「嫌われる勇気」目的論(1)

なぜなら、その間は、「誰々のせい」にすることで、自分が変われないことを肯定し、自らに対して「変わらない」という決心をしている状態だから。

変わらなくていい理由を、他人というコントロールできないものに置くことで、今の自分を肯定します。

夫をなんとかしたい!夫が食べっぱなし、脱ぎっぱなし、つけっぱなし

自分を不幸に落としめているいると信じる「誰々」は、「変われずに、変わらない」自分に対して、むしろ都合のいいものになっています。「誰々」は「自分が変わらない」理由付けを十分に与えてくれ、自分が「変わらないことによって不幸」の選択を後押しする都合のいい存在になっているからです。

心理カウンセラーであれ、精神科医であれ、何かの先生であれ、友人やその他誰であれ、人の心まで土足でズタズタと入り込んで、「強制的」に変えさせることはできません。

ありとあらゆる状況によって、自分の心が「そう思うこと」を自分に赦した時にはじめて、人はその思いを心に抱きます。

不幸という思いも、上手くいかないという思いも、最悪という思いも、自分が「そう思うこと」を赦し、選択して、はじめて実現します。

「思いたいのに思えない、なぜなら状況は思ったところで何も変わらないから」ではなく、(それを信じるのではなく)、

「思いたい思いの選択をまずはしてみる。そして、その思いから導かれる行動を、焦らず、少しずつやっていこう」

です。

一夜にして、一瞬で不幸→幸せを望むから、「思いたくてもできない」とすぐ諦めます。

もし、自分が井戸の底に落ちたと思うなら、まずは這い上がると思うこと。

這い上がると選択したなら、いきなり、地上にジャンプすることを考えるのではなくて、次に手足が引っかかりそうな側面はないか、登れそうな手段はないかを探すこと。

はじめても続かない?「ゆっくりやろう、でもやろう」を始める

幸せの『結果』は一夜にしてはやってきません。でも幸せになるという選択をした思いは一夜にして、一瞬にしてやってきます。そしてすべてのスタートはその思いを維持し、進み続けることから始まるのです。

今、どんな選択をしますか?

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