アドラー心理学「嫌われる勇気」目的論(1)

心理・思考
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「嫌われる勇気」(岸見一郎著、ダイヤモンド社)から、アドラー心理学をテーマに書いていきます。この本、すごく流行りましたね。私もかなり読み返しました。

目的論については、「嫌われる勇気」の本の最初に取り上げられているテーマです。

目的論とは、シンプルに、「~だから~が起きた」という因果関係を持たせる「原因論」と反対の立場をとっていて、今起きていることは、今の「目的」を実現するために、今の行動をとっている(その状態を受け入れている)という考え方です。

原因論にある、トラウマや、過去の生い立ち、経験によって、「今こうなってしまった」と考えるのではなくて、「今こうなりたいから、そのために、自分にとって都合のいい『原因』を利用して、今こうしている」と考えます。

ある意味では、「待ったなし。」「言い訳なし。」の厳しい考え方かもしれません。が、逆に考えると、「今こうなっている」理由は、自分が「こうなることを目的としているから」であって、自分の目的のみが影響し、過去の経験が影響していません。

「変えられない過去」が関与しないのは、それだけ、「変化可能」という希望がある考え方です。「過去」と「自分の目的」のどっちが変えられる?と考えば、答えは迷うこともありませんよね。

生い立ちや経験といった、変えようにも変えられない過去が原因で今があると認めてしまったら、「変化不可」と言っているのと同じです。変化は起きず、いつまでも起きてしまった過去に、囚われ続けるなんて、絶望的です。

アルコール依存症や、DVの夫を家庭に持つ妻の例で見てみます。毎日、壮絶な日々を過ごしてきている妻たちの言い分に、「彼のせいで私の人生はめちゃくちゃになった」ということをよく聞きます。

夫に対し、激しい憎悪と怒りがある間は、自分の人生の思う通りにいかなかった全てを「夫のせい」と思わないとやってられないし、依存症の取り巻く環境は想像に絶するものがあり、確かに人の心を狂わせます。

ただ、全てが夫のせいであるのか、そうでないかは、今はどうでもいい問題として、大切なのは「夫のせい」としている間は、妻は変わることができないということです。

たとえ、離婚して、物理的には距離ができ、夫と関わらなくなったとしても、離婚後の生活で起きる様々な困難には、どうしても「夫のせい」がついてきます。

「夫のせい」にし続ける限り、夫が死のうが、新しい人生を歩もうが、目に見えない「夫のせい」という思いがついて回って、いつも苦しめられます。

アドラー心理学は原因論を否定します。「夫のせい」としている間は、自分に起きるあらゆる不幸や困難、悲しみを、「夫のせい」で逃げることができます。家庭の世話に翻弄して、自分の夢を追いかけられなかったこと、子供をまともに育てられなかったこと、イライライして、体に悪いものばかりとって太ってしまったこと・・・全部「夫のせい」にすれば、自分はそれらの問題を直視しなくて済みます。

時間がある中で、あの資格の勉強をすることを怠ったよね?とか、子供が相談したいと言っていたのに、いつもイライラして、子供の話もまともに聞かなかったよね?とか、健康な食材を選べる経済的な支えも、選択肢もあったのに選ばなかったよね?・・・などとは口が裂けても認めたくない状態です。

「原因論」つまり、「夫のせい」とし続けている限り、ありとあらゆる不幸やうまくいかなかったことが、「夫のせい」にできるので、ある意味、都合がいいんです。自分の問題を直視しなくて済むからです。

だからこそ、「原因論」に留まっている限り、人は変われない、とアドラーは言っています。

どちらがいいとか、正しいとかそういう話ではなくて、何が自分を幸せにするのか、どうしたら自分の人生をより充実したものにできるのかを真剣に考えます。

つまり、「夫のせい」いう大義名分にかまけて、言い訳をしていた自分を認めます。絶望の中でも、わずかにあった幸せや与えられたものに目を向けることなく、それらは当たり前のものとして感謝することなく、大きな問題のみに目を留めていた「自分の欲であったり傲慢さ」を認めることです。

そして、「夫のせい」をもうやめて、「私は「夫のせい」を使って、自分の惨めな人生を肯定していだけだ。結局は、「挑戦するのも怖かったし、失敗に恐れていて、自分の夢に向き合いたくないから、「夫のせい」で自分は大変でできないという状況と感情を作り出していたのだ」と認めます。

最初は痛いですよ。最初は辛いかもしれません。泣きたくなるかもしれません。でも、それが自然です。こみ上げる感情を抑えないでください。

何を目的にするかで、毎日は変わってきます。「自分の夢に向き合わないこと」を目的にするなら、仕事の忙しさや、家庭のいざこざばっかりが見えてくるでしょう。

誰もが、幸せに生きて、この人生を満喫したいと心の底では思っています。肝心なのは、言い訳でそれを曇らせる前に、「本当に見なくてはいけなかった目的はなんだったのか」に直面することです。

もし、「夫と幸せになること」とか「私が〇〇の夢を実現すること」「子供の幸せを作ること」・・・が目的になったら?目的が変わると、日常が変わってきます。

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