真面目すぎてしんどい!?をやめる― 完璧主義・思い込みをほぐしていくために
相談してくださっている方と話している時に、
「自分は真面目すぎてしまうんです」という言葉が出てきて、
その瞬間、あ、私もすごく同じだなと思いました。
私もよく「真面目」「几帳面」と言われてきました。
特に20代の頃、職場でよく言われていました。
でも、自分では全然そんな意識がなかったんですよね。
相談者の方は「真面目すぎる」という自覚があるので、
そこは私と少し違うところ。
私は、人から「真面目すぎ」と言われ、
「え、私って真面目すぎるの……?」と気づいたタイプです。
なぜ自覚がなかったかというと、
私は基本、いろんなことを“早く進めたい”タイプで、
衝動的に行動してしまうことも多いんです。
思いついたらすぐ動くし、小中学生の頃、母親から、
「行き当たりばったり」「準備不足」「雑」と言われたことも。
そんな言葉も心に残ってか、
「私は真面目」なんて思う余地がなかったんですよね。
改めて振り返りながら、「真面目すぎ」という言葉の意味について、
今回は取り上げたいなと思います。
目次
誰も気にしていないことを、ひとりだけ気にしてしまう
たとえば、
・他の同僚が「まあいっか」で済ませる場面を、私はきっちり改善しようとする
・別にそこまでやらなくてもいいのに、一人で頑張りすぎてしまう
・「サボればいいのに」と言われるような所で、手を抜かない
など。
私の中で、「ここを改善しなきゃいけない」「ここはちゃんとすべき」
と真剣に考えていたところが、周りの人からすれば、
「どうでもよくない?!」みたいなことだったわけで。
こんなケースは他人の目からは、「真面目すぎる」と見えていたんだと思います。
大人になると、「真面目すぎ」なんて正直に言ってくれる人って少ないから、
あえて、言ってくれた人のおかげで自己認識が深まったなと、
ありがたく感じています。
自分で自分のことって、盲目になりがち。
けれど、他人の一言でハッと気づけるんです。
真面目すぎるのは “良いこと” のようで、実はバランスを壊す
真面目そのものは何も悪くない。
でも何事もそうですが、「過ぎる」と良くないんですよね。
・程よいところで止められない
・完璧に仕上げようとしてしまう
・「これでよし」が言えない
・バランスがわからなくなる
これらは全部“真面目すぎる”の特徴です。
私自身、文章を書くとき、延々と推敲してしまう癖があります。
推敲すればするほど「もっと直したい」と思ってしまい、いつまでも完成しない。
世の中の書籍だって、どこかの時点で著者が、
「これで完成」と手を離しているから出版されているわけで。
もし永遠に直し続けていたら、一生世に出ませんよね。
真面目すぎると“重くなる”
そして、真面目すぎると、何より心が重くなるもの。
心がずっしり重くなると、周りの人もしんどいし、
家の空気が重苦しくなるもの。
母親がひとり真面目すぎると、子どももしんどいし、夫もしんどい。
逆に、“まいっか”の軽さが少しでもあると、家の空気は一気に明るくなるんですよね。
真面目すぎると気づいたら、“少し緩める”。
真面目であること自体はその人の個性だけど、「過ぎる」と苦しくなるから。
「こうしなきゃいけない」と思っているのは、実は自分だけで、
周りはそんなこと求めていないケースなんて山ほどあるもの。
もっと力を抜いていい。もっと軽くていい。もっと気楽でいい。
物事を深刻にしすぎないこと。
それが、人生を軽やかに前に進めるためにはとても大切だと感じています。
◎対話室からの問い
今の自分にとって、「まあいっか」 と手を離せそうな(離したい)ことがあるとしたら、どんなことでしょうか?







ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません