【人間関係の境界線】「私さえ我慢すれば」の思いを捨てること②

境界線の持ち方

前回のテーマの続きです。

「私さえ我慢すれば」の思いを捨てていくことは、自分の限界であったり、自分の境界線をちゃんと守ることにつながりますということを、前回の記事では伝えました。

【人間関係の境界線】「私さえ我慢すれば」の思いを捨てること①

「私さえ我慢すれば」に続く言葉は、やはり、

できる

なんですね。

そして、この「できる」という言葉はとても肯定的で、可能性に溢れているような言葉に見えて、
実は、考え方によっては、危険な香りがする言葉でもあるんです。

というのも、

自分自身の万能性

を認めることになるからです。

自分自身が万能であると認識することは、心にとっては、とても重いです。

なんでかっていうと、万能じゃないからです。

「(人は誰でも)万能にはなれないのに、万能であらなくてはいけない」
と思うことが、とっても重いんですね。

自分さえなんとかすれば、自分さえ努力すれば、

できる
うまく回っていく

という思いの中には、自分への万能性を追求させるプレッシャーが隠れています。

自分が相手に合わせて動くことで、物事を円滑に動かせた・・・

そういう経験を沢山すればするほど、自分の行動、立ち位置、そういったことが、環境や結果に大きく影響を与える存在だと思ってしまうんですね。

こんな経験を繰り返すと、益々、自分を抑えたり、自分が我慢したりして、進んで、犠牲になることで、物事を丸く収めようとしていきます。

そうしていると、心はどんどん疲弊し、気づいた時には、

本当に、倒れそうな状態になっている・・・

となってもおかしくないんですね。

自分はできる

この言葉は、確かに希望や、やる気や、勇気を奮い立たせてくれるような言葉でもありますが、
同時に、とても重いで言葉になりうることもあるんです。

心にとっては、常に、背伸びをしていないといけないような緊張感があったりするんですね。

失敗が許されないような、
自分を楽にさせないような、

そんな厳しさが、この「自分はできる」には潜んでいるんですね。

そもそも、「私さえ我慢すれば・・・」になってしまう状況というのは、
多くの場合、あまりいいものではなくて、

ギリギリのところをなんとか、回していこうと、もう最後の手段のような状況で、
日々努力されて、工夫されて、頑張っている・・・そんな状況がほとんどだと思います。

これまで何度か、「万能性」という言葉を使ってきましたが、そんな厳しい状況の中で、今更「万能性があったんですよ。」なんていう言葉は、正直あまり聞きたくない言葉だと思います。

「え!?驕っていたとでも言いたいわけ!?」

と怒りすら湧いてくるかもしれません。

決して、誤解して頂きたくないのが、

「あなたは、全て自分ができると思って、調子にのっているのでしょう。」

などという冷ややかな意味では決してなくて、

「私さえ我慢すれば」を続けいていると、それは自分への万能性を追求するプレッシャーに繋がり、

自分は常に完璧に動かなくてはいけない

という緊張感に繋がり、

それが心にとって、とっても重たく、失敗を受け入れさせない、ガチガチに凝り固まった気持ちに導いてしまう・・・ということなんですね。

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思えば、人間はいつも限界があるんです。

寝ない人間はいません。
休まない人もいません。

どこかで手を止めて、肩の力を抜かないと、身体も心もおかしくなってしまうのが人間なんです。

みんなどこか不完全で、みんなどこか足りていないんですね。

それを補いながら生きているのが、人間社会です。

だから、こころに栄養を届けるとしたら、

堂々と不完全になっていい

ってことをちゃんと受け入れてあげるんですね。

それは、同時に、自分の万能性を否定するということです。万能なのは神様だけ。

どうしても、自分は、手を止めて、眺めているしかできないことだってあるんです。

相手の問題であって、どうしても自分は介入できないことだって、あるんです。
どうしたって、身体は一つ、選択をして一方を諦めなくてはいけないことだってあるんです。

大切なのは、そんな自分に

「いいよ。大丈夫だよ。」

と言ってあげること。少なくとも、私はあなたに何度も言います。

自分の思いを優先することで、
その結果、ある人の期待を叶えてあげられないこともあるかもしれないけれど、(←これ、心優しい人にとっては辛いですよね。)でも、「それでいいんだ」と自分がちゃんと受け入れてあげること。

なぜなら、やっぱり万能ではないからです。

我慢できることもあれば、
我慢できないこともある。

気持ちがついてくることもあれば、
ついてこないことだってある。

元気な時もあれば、
とにかく家でだらだらしていたい時だってある。

それでいいんです。

そういう不完全さ、
自分の中にある多様性、
自分の中にある色々な思い、
色々な気分を含めて、

全部、「自分が自分であるために大切なこと」と、受け入れてあげてくださいね。

「私さえ我慢すれば」と思って、背伸びをしたり、
自分を犠牲にしてまで、相手に自分をわたしたりしない。

そして、何よりも、

自分を大切にする自分を責めないこと。

「私さえ我慢すれば」の思いを捨てることは、
自分の中にある不完全さをちゃんと認めてあげることです。

自分に対して、ちゃんと自分の中にある不完全さを認めることができているのであれば、
他人の不完全さも、もっと認めてあげられると思うし、他人に対しても、もっと優しくなれます。

そして、そのような自分にも他人にも優しい態度は、今よりももっと良い人間関係に繋がっていきますから。

応援しています。

このあと、シリーズもう一つ続きます。

【人間関係の境界線】「私さえ我慢すれば」の思いを捨てること①

【人間関係の境界線】「私さえ我慢すれば」の思いを捨てること③

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