他人の感情処理はしない
他人の感情処理をすることは、とっても疲れます。
他人の感情処理とは、
他人がどう感じるかを気にして、あれやこれや悩んだり、
自分の行動を他人に合わせたり、
自分の意に反して、何かを犠牲にしたり無理をしたりすること
です。
例えば、夫をイライラさせたくないから〇〇をする。
上司を怒らせたくないから△△をする。
あの人辛そうだから、無理してでも寄り添う。
・・・
などなど。
肯定的な感情に対しても同じです。
相手に喜んでほしいから〇〇する。
相手に楽しんでほしいから△△する。
こちらは、すごく良いことをしているように聞こえますよね。
でも、同じく相手が喜ぶのも、楽しむのも、相手の感情なんです。
そして、もちろん、相手がイライラするのも、相手が怒るのも、相手の感情なんですね。
こうやって他人の感情処理をしている時って、
自分の心が案外と置いてきぼりになってしまっています。
相手の感情をどうにか、こうにかしようと思って、行動していますから、
そこに自分がないんです。
自分が2番手、3番手と、後ろに引っ込んでしまっている状態です。
そして、相手の感情に集中していますから、いつも相手のことばかり見ています。
相手の感情が自分が想定したものになればオッケーで、
そうでないなら問題と認識してしまうんです。
相手によっては自分の心は大地震にもパラダイスにもなりうる、
非常に不安定な状態です。
もちろん、人は期待するものです。
イライラしないでほしいな、怒らないでほしいな・・・とか。
喜んでほしいな、楽しんでほしいな・・・とか。
期待は誰にだってあるものです。
でも、
相手が自分が思った感情になるように相手を動かそうとするのは、
相手の境界線に立ち入ってしまっています。
また、
相手がどう感じるかに思いを悶々とさせる続けるのも、
相手を自分の境界線に入れ込んでしまっています。
どちらも、境界線の侵入なんですね。
こういう心持ちを絶えず持っていると、
自分の心がキャパオーバーになって疲れてしまいます。
相手がどう感じるだろうか、
相手がどう反応するだろうか、
それは、相手次第なんですね。
それなのに、どうにかこうにか、相手を「こういう感じにさせよう」・・・
なんて考えると、色々なことがおかしくなっていくわけです。
相手は感じるんですね。相手の好きなように。
そこには立ち入らない。
良かれと思ったことが全然良くないかもしれないし、
よくないと思ったことが、大して悪くないかもしれないんです。
わからないんです。
相手次第。
真面目な人、いい人、
相手のことばかり考えている人ほど、
相手がやるべき相手の感情処理をせっせとしようとしてしまいますから、
そこから離れることで、もっと自分を大切にできます。
境界線の回復トレーニングでは、
「この部分は、境界線の侵入かな」という黄色信号を探していきます。
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