「人からどう思われるか」を気にする理由

悩みの正体

人からどう思われるか気になる。

この気持ちってこころにめちゃくちゃ重いです。

だから、こころの栄養にとっては、完全にNG。

人からどう思われるか気になると、自分が「したい」と思った行動ができません。自分に正直になれません。

だから、心の中で思っていることと、実際にやっていることが乖離して、どんどんストレスが溜まってくる。

人からどう思われるかが気になって、何かができないのなら、まずは、人から「どう」思われたくないと考えているのかを明確にすること。

私は学生の頃から、学校の定期テストは、ものすごく成績が良かったけれど、実力テストになると、本当にダメでした。

なんでかというと、学校の定期テストは、テスト範囲の内容を丸覚えすればなんとかなるけれど、実力テストというと、全然違う問題が出されるから、当然、記憶だけでは太刀打ちできない問題も出てくる。

理解力、読解力がないと、ボロが出る。

だから、学校の定期テストの成績がめちゃくちゃいいから、「頭がいい!」とか人から思われていても、実力テストはボロボロだったりするから、人から「本当はバカ!」とか思われたくないという気持ちが芽生えて、ストレスになっていた・・・と思う。

もちろん、これは今、大人になった自分が当時の自分を自己分析しているだけであって、その当時は、無我夢中だったから、何にも深くは考えていなかったけれど。

私の中では、表面的には頭良さそう・・・でも、実際は「中身は空っぽ」「中身のない人間」って思われるのが恐怖だったのね。

だから、大学とかもちゃんと有名大学に行ったり、就職企業も誰もが知っている会社に行ったりしたけれど、でも、自分の中では「中身は空っぽ」の恐怖感がいつもつきまとっていたの。

だから、安心できなかった。

外っつらだけ整えている自分がいた。私の中での「人からどう思われるか」の「どう」の部分は、まさにこの「中身のない人間と思われる」ことだったと思います。

こんな風に、今、あなたが「人からどう思われるか」を気にしているなら、まずその「どう」の部分を明確にしてみて下さい。

あなたが「どう」思われたくないと思っているのか。「どう」思われると思っているのか。
そもそも「人からどう思われるか」を気にしているのは、あなたの脳内だから、その「どう」もちゃんとあなたの脳内に答えがあるはず。

私の例だと、私自身がめちゃくちゃ「自分は中身のない人間」と思っていたのね。

だから、焦っていた。

劣等感を見せまいと、頑張った。頑張る動機が、やりたいから!とかそんなピュアなものじゃ全然なくて、自分が「中身がない」と思い込んでいるから、そのスカスカの自分をさらけ出すのを隠すために、色々頑張っていたわけ。

つまり、
人からどう思われるかを気にする理由は、結局、自分が「どう」思っているから。
そして、自分が思っている「どう」を、他人も思うんじゃないかと思って、不安になっていた。

「人からどう思われるか」の前に、あなた自身がまずはめちゃくちゃ「どう」思っている。ここが取り組むところ。

所詮、人がどう思うかどうかは、架空の話だから。自分の頭の中で、色々想像して、こうしたらああ思われるんじゃないか、ああしたらこう思われるんじゃないかって言っているだけ。

苦しめている犯人はやっぱり自分だった。

こころを重くしている犯人は、やっぱり自分だった。

ってことです。

自分が、自分のことを「どう」思っているのか(人に「どう」思われるかの「どう」の部分は何か)をちゃんと明確にしたら、次に何でそう思っちゃうんだろう・・・って考える。

私の例の場合だと、姉の存在は大きかった。

彼女がめちゃくちゃ勉強ができて、それこそ、いわゆる実力テストで実力が出る人で、私はそんな彼女の背中を見ながら、追いつけ追い越せじゃなくて、追いつけ追いつけ状態だったんだと思う。

とにかく、必死だった。劣等感と言ってしまえば、それまでだけど。

だから、なんで自分は「中身のない人間」と思ってしまったかというと、「『すごい人』といつも比べていたから」。私の場合は、最初の対象は、姉。成長に連れて、対象物はもちろんどんどん変わっていったけれど、やっぱり私は、自分より「すごい人」と比較していた。

ただ、おかしいなことがあって、自分が、得意なこととか、長所とか、夢中になれることとか、そういうことにおいてはまるで放置なんだよね。自分で自分を褒めないというか、認めないというか。

自分の欠点とか、自分ができていないところだけ、他人の「すごい人」と比べちゃって、それによって、自分は「中身のない人」に思えてきて、結果、他人に、「中身のない人」と思われるのではないかと恐れて・・・無駄に頑張って。とっても自分に厳しかったんだと思う。自分を痛めつけていたと思う。

ここまで分析が進むと、だいぶゴールが近くなる。

自分の中で起きている「人からどう思われるか」の原因がわかったのだから、あとはそれを更新していくだけ。

過去は変えられないから、過去をもう振り返る必要はない。過去を参考にして、学んで、今と未来に活かすだけ。

私の場合は、

✔︎まずは、自分の劣っている部分だけを「すごい人」と比べていること。

✔︎「すごい人」と比べるから、焦っちゃって、表面的なものだけ取り繕おうとして、結果的に「中身のない人間」に向かっちゃうこと。

✔︎そして、自分は心の中では実力のない「中身のない人間」とわかっているから、他人に「中身のない人間」と思われるんじゃないかと恐れること。

✔︎その結果他人から、「中身のない人間」と思われるのを気にして、行動に制限がかかること。

ただ、「人との比較はやめましょう。」「すごい人と比較するのをやめましょう」と言っても、また無駄に抵抗がかかっちゃう。人はやめよう!と言ったら、やめられなくなるところがあるから。

この場合は、「すごい人」と比べるのをやめよう!とするのではなくて、自転車と車を比較しても意味がないから、ちゃんと「意味がないよ」って気づくこと。

それぞれに用途がある。

人間、みんな用途がある。

それをスピードだけで見るからおかしいことになる。車を憧れている自転車、新幹線に憧れている車、飛行機に憧れている新幹線、鳥に憧れている飛行機・・・だったら!?。それぞれに用途がある。目的がある。

人と人を比較することがまずはナンセンス過ぎるって気づく。

みんな違って、みんないいし、みんな違って、みんなダメだから。

世の中は、確かに競争とか、数字とか、順位とか、そういうのが経済の仕組みで動いている。特に日本は資本主義だし、流れは確かにそうだけど、この流れがこころを重くしていることがある。

この流れで生きている以上、世の中の人ほとんどが、実は「人からどう思われるか」を気にしているし、世の中の人ほとんどが、この変な思考によって心に闇を抱えている。

だから、こころ軽く生きるためには、時に、ちゃんと世の中の流れに立ち向かって、自分のこころをしっかり見張って、守ること。

「人からどう思われるか」を気にしている人は、まずは自分に対して「どう」思っているのか・・・。きっと自己軽視がいっぱい隠れています。

まずは自分の思いを観察することから。あなたが、まず「どう」思っているのか、そしてなぜそう思っているのか、明確にしてみる。自分をいかに、テキトーに扱ってきたことが見えてくると思います。