傷ついた感情・悲しみの感情の癒し方
傷ついた感情や、悲しみの感情がある時、大切なのは、その感情が、他の人に、
わかってもらえなくても大丈夫
ということです。
自分が傷ついたなと思う気持ちや、経験や、考えていることに対して、どうしても、
人にわかってもらいたい
という思いが出てくるのは、
人にわかってもらえる、聞いてもらえる、共感してもらえる・・・それだけ、ホッと肩の荷が降りるというか、一人じゃないんだと感じたり、つながりを感じたりするからなんですね。
でも、私は、たとえ、人にわかってもらえなくても、大丈夫だよということを伝えたいなと思います。
今何か、悩んでいることがあったり、苦しい思いがあるとしたら・・・そして、その思いを、うまく表現できなかったり、誤解されたりとか、もしくは、何か適当な感じで流されたりとか、励まされたりとか・・・そんな経験をすると、どこか置いてけぼりの気持ちになってしまうことがあるかもしれません。
だから、今もし、そういう気持ちを感じている人がいたら、私は、
わかってもらおうとしなくていいよ
わかってもらえなくても大丈夫だよ
と伝えたいです。
事実として、人は、自分に経験がないものは、そんな簡単には、分からないものです。
たとえば、喪失の経験。私は2022年の現在、両親が生きていますから、両親のいずれかを亡くされた方、もしくは両方を亡くされた方の痛みを完全にわかるということは決してできません。
いつの日か、私の両親が旅立った時に、私なりの心で感じた、私なりの痛みを、私なりに経験し、その経験を基に、他の人の親を亡くされた気持ちに寄り添うことはできるかもしれません。
でも、たとえ、同じ経験をしたとしても、私が感じた私なりの受け止め方であり、当然、私の固有のもので、完全には痛みを分かるなんてことはできないわけです。まして、経験がない人にとっては、もはや想像と同じ、わかるわけがないんですね。
だから、もし、今、何か苦しんでいて、何か葛藤することがあるとしたら、そして、その思いをわかってもらえないなと感じたら、
わかってもらわなくていいんだよ。
ということを、まずは受け入れてほしいなと思います。
そして、その上で、
私は、わかってる
と自分に言ってあげてほしいなと思います。自分が感じた、痛みなり、悲しみなり、屈辱なり、悔しい思いなり、苦い思いは、他の誰もが分からなくても、自分はわかっているんです。だから、自分がちゃんと、自分に「分かるよ」って、抱きしめて、受け止めてほしいなと思います。
そして、次に、
自分が十分に自分をわかってあげるから、これで大丈夫なんだ
と気づいてほしいなと思います。
悲しい経験や、喪失の経験がある時に、本当はとても苦しいのに、本当の感情を感じることなく、空元気にしたりとか、大丈夫なふりをするのは、自分にとっても優しくないんです。
自己憐憫はダメだとか、早く切り替えないと!とか。そうやって、自分を叱咤激励するのは、一見、とても前向きで、素晴らしくも見えるけれど、時間をかけて癒される必要があるものはどうしてもあります。
無理に蓋をして、何事もなかったようにしても、癒されきれなかった感情は、何かの度に顔を出すんですね。
そして、そういう不快感情と直面するのが嫌だからといって、ますます自分の正直な気持ちに対してごまかし続けていると、自分が何だかよく分からなくなってきちゃうんです。
気づいたら、何もかも嫌になっちゃったりとか、全て壊したくなってしまったりとか。そういう感情が湧いてくる時って、本当は、向き合ってあげて欲しかった、小さな悲鳴に蓋をし続けてきて、爆発してしまったからなんですね。
周りの人が自分の気持ちをわかるなんてことには、無理があるんだから、そこは受け入れて、人が自分をどう見るか、どう判断するかは、分からないことだし、そもそも人は勝手に思ったり判断したりしていることなんだから、人がわかってくれるかどうかには、そこまでこだわることではないことと割り切るんです。
そして、自分が、
わかってるよ
ってしっかり受け止めてあげるんです。ぎゅっと抱きしめてあげて下さい。傷ついた感情の癒しは、そこから始まっていきます。
写真:福島県 飛行機雲
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