悪口や嫌味、傷つく言葉を言う家族から離れた方がいい理由
第3者から見たら、どう考えても悪口以外の何ものでもなくても、当の本人が、家族が言ってくる言葉は自分への悪口として捉えないことがあります。
悪口かどうかの判断は決して難しくありません。あなたが言われて不快だった言葉は、ここではすべて悪口とします。家族に言われた言葉が悪口かどうか分からない場合は、コメント欄に書いてください。
目次
悪口を言わないと気が済まない人たち
家族や身近な人が自分の悪口を言っているにも関わらず、言われることに慣れてしまっていることがあります。
「歩き方が悪い」「服のセンスが良くない」「~の態度が良くない」「付き合っている○○は良くない」などと、身近な存在だからこそなおさら、他人なら遠慮するようなことでも、平気で口にしたりします。
悪口を言う家族がいても、スルーする特徴の一つに、
「もうこの人はこういう人だから。」
と、その人を特定のカテゴリーの箱に入れることによる諦めがあります。
もし、相手を定義することで、何を言われても動揺しないなら、問題ありません。自分の心の状態が、悪口に負けていないのです。
でも、もし悪口を言っている人が自分の周りにいることで、嫌な気持ちになったり、傷ついているにも関らず、「それでも家族だから」という理由だけで関係を持っているのなら、要注意です。
悪口からは「離れる」必要があります。
悪口ではなくて事実だからと悪口を擁護する必要はありません。言ってくる相手が家族だろうが、「離れる」ことです。たとえ物理的に離れることができなくても、悪口を言っている時には、心の距離を離すことができます。
相手が悪口を言わなくなることは、相手からは自然に来ません。自分が変化することで、少しでも良くすることはできるかもしれません。しかし、相手に悪口を言われないように、自分の何かを変えようとするのは本末転倒です。それは他人本位の生きづらい生き方だからであり、他人によって、自分の価値を上げようとしています。
悪口を言う人は、悪口を言わないと気が済まないから言っています。つまり、彼らは口を閉ざすことができない病気です。
どうして、こんな関係のないことにいちいち首を突っ込むのだろう、どうして、こんな人が不快に思うことをわざわざ言うのだろう、どうしたらこんな嫌味なことを思いつくのだろう・・・と思うかもしれませんが、悪口を言う人は、言わないと気が済まないのです。これは悪口を言う本人の課題であり、周りがどうこうすることではありません。
そもそも、「気分が悪いからやめてほしい」と言ったところで、ピタッと止めるような相手であれば、悩むこともありません。
悪影響から離れるために距離を持つ
悪口を言われ続けることで、少なからず悪影響を受けます。他でもない自分のことを言われているのですから、気になってしまうのです。嫌なことを言われれば、誰でも不快です。
相手から何かを言われて、気分が悪いなとか、不快だなと感じる時は、思い切って距離をとります。あまり関わらないようにするという意味です。実家や親戚の人なら、物理的な距離があるので、それを利用します。家の中にいる家族なら、別の部屋に移り、話しても話さなくても良いような会話はできるだけ避け、悪口のネタになるような材料をできる限り取り除きます。
再び距離を近づけて関係を持ち始めるのは、自分自身も言われた悪口に動揺しない落ち着きを持ったタイミングです。ただ、そのタイミングは、思ったよりも長くかかります。自分の心が反応的でない生き方にシフトしていくには、他人によって、自分の価値を上げようとしないことを始めていく必要があります。
悪口を言われている自分を軽視しない
悪口をよく言われているにも関わらず、それを大した問題と捉えないことにはデメリットがあります。知らず知らずのうちに、自分の心に影響を与え、それが自分を生き辛くするからです。「なんかこの人から今日、悪口を言われた。嫌だな。」だけに留まらず、全然関係のない他の人と関わる時、自分が何かを決断する時、影響された心が自分の気持ちを左右させてしまいます。
「自信が持てない人の心理学」(加藤諦三氏著作、PHP研究所)にこのような記述があります。(P153本文抜粋)
たとえば、自分達を他人の眼にとって偉大であると映るようにばかり努力して、その他のことにエネルギーがむかない。当然、友達ができない。家庭そのものが社会的に孤立してくる。劣等感が強いから、他人とつき合って軽く見られないか、ということばかり怖れる。
人間は防衛的になることで、内面の強さは破壊される。破壊されないまでも成長しない。
悪口を言われることによって、自分は「できていない」「劣っている」ということを、心が感じてしまうことがあります。
たとえば、「その服のセンス悪いよ。」と言われた時、気持ちのどこかで、「ダメ」と言われたことを覚えているのです。
こうやってダメだしされることは、知らず知らずのうちに劣等感を作り上げます。劣等感が育つと、防衛的になってしまうのです。
防衛的な気持ちになったら成長が止まる
問題は、この「防衛的になってしまう」ということです。人が守りの姿勢に留まっている限り、成長することは難しいです。成長することがなければ、変わらない日常に対して、今度はますます防衛的になり、毎日がつまらなくなっていきます。
関係を絶つことを大げさにとらえない
人からの悪口は自分の人生を不幸に向かわせる影響力が潜んでいるとなれば、たとえ家族であろうが、身近な人であろうが、「関係を絶つ」ことに躊躇はしません。その人と関わることで、自分が不幸になる可能性があるのに、常識や倫理感などの理由から、「それでも家族だから。それでも身内だから。」とサービスする必要はありません。
「関係を絶つ」ことにもっと気軽になっていいんです。自分が成長すれば、悪口などどうでもよくなる時が必ず来ます。もしくは自分が悪口など言わせないくらいに成長することもできます。人が自分に何を言っても、「これが私だから。」と言える強さが与えられます。その段階になれば、また再び交流を持てるんです。距離を置くのは、それまでの「しばらくの間」だけです。
まずは自分自身の心を、「汚染される可能性のあるもの」から守ることです。それをできるのは他でもない自分しかありません。
悪口によって、1日、2日落ち込んだり、もしくは、嫌なことを言われたことにより不機嫌になり、全然関係のない人に攻撃的になっていたりしたら、悪口が自分の行動に影響を与えている証拠です。
自分が、悪口を言われた時どういう反応をしているか、少し気遣って反応を見てあげます。すると、心はとても敏感だったり、繊細だっり、本当はすごく不快だったりします。まずはそれを自分の中で言葉にして、自分で受け入れてあげてください。
自分が成長していくために、幸せになるためにも、悪口を言う人からから離れ、距離を置くことです。家族から言われた何かひどい悪口が心の中に残っているものはありますか?【想いの箱】に書いて、手放してください。
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