人の目が気になる理由|人の評価に振り回されないための考え方
本当はこうしたい、ああしたいという思いがあっても、人の目が気になる。
どこか我慢している、ぎこちなさを感じて、自分らしく振舞えない。
些細なことでも深く考え過ぎてしまって、絶えず人のことで頭がぐるぐるしている。
今回は、「人の目が気になる理由」と、その背景にある心理について取り上げたいと思います。
目次
なぜ人の目が気になるのか
まず最初に、そもそもなぜ人の目が気になるんでしょう?それは、すごくシンプル。
人の目、つまり人がどう考えているか、何を思っているか、という人の心の内をいちいち想像して、自分が望んでいないことがないかと恐れているからなんです。
でも、これって境界線の観点から言うと、
相手が考えていることは、相手のもの。どれだけ考えても、相手が考えていることは、想像の域を超えないもの。人が思っていることと口にしていることが一致しているとも限りません。
だから、人の目が気になる時って、あえてそのプロセスを言語化すると、相手の気持ち、感じ方、理由、捉え方にいちいち首を突っ込んで、「こう思っていてほしい」けれど、「こう思ってくれているのかな?」なんて確認している状態なんですね。
もちろん、こんなことをいちいち考えていません。ほぼ無意識です。でも人の目が気になる時に、凄まじいスピードで起きている脳の対話って、こんなもの。
だから、ちょっとソワソワしたり、ぎこちなくなったり。自然体でふるまえなくなってしまうのも当たり前。
当然、わからない相手のことに、わざわざ自ら飛び込んでいくわけだから。
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気にしてほしいのは「人の目」ではなく「自分の資質」
「人にどう思われるか」が気になることは、もはや癖のようなものです。
癖だからこそ、まずはああ、「自分は人の目を気にしているな」という自己認識。これはとても大切になります。
私は、自己認識を整えようと日々発信していますが、まさに「人の目を気にするところがある」とちゃんと宣言できること、自覚して、自分で認めること、これはスタートラインです。
その上で、この癖に対処していくために、まず考えてほしいこと。
それは、そもそも「人にどう思われたいのか?」という問い。
人の目が気になる時って、人からどう見られたいか、どう思ってほしいか、という自分の希望があるんです。
それは一見、他人の目を気にしているようでいて、実は自分の理想のセルフイメージが隠れていることもあります。
ある意味、理想をしっかり持っていたり、こんな生き方をしたい!という軸がある。だからこそ、人からの評価の違和感に敏感になっているだけ。だから、「気にしてる自分はダメだ」なんて責める必要はありません。悪い癖と決めつける必要もありません。
人を通して、自分が見えることは多いもの。
大切なのは、自分の中にある思いをきちんと言葉にして、自分の内側を整理していくことです。
たとえば、「ケチと思われたくない」という気持ちが湧いたとします。
このときに大切なのは、自分が本当にケチなのかを見直してみること。
よくよく見てみたら、それは「無駄なお金は使わず、大切なところにしっかり使う」という、優れた投資感覚だったりします。
それなのに、自分を知ろうとせずに、「私はケチと思われたくない。もっと寛容にならないと!」と無理に方向転換しようとすると、心のどこかで納得できず、ずっとモヤモヤが残ったまま。
だからこそ、自分を否定せずに、丁寧に整理することが大切です。
それが本当に手放すべき価値観なのか、それとも守るべき資質なのか――。
そこを見極めることが、自己を知るということなんです。
「どう見られたいか」より、「どう生きたいか」
自分の資質に気づいたら、それ自体は自分の財産。
自分には「優れた投資感覚」があると気づいたけれど、仮に百歩譲って、それでも他人は「ケチ」と見るとします。
ここはまさに境界線です。他人があなたをどう見ようか、これは自分ではどうにもできないこと。別の場合では、自分は「ケチ」と思っていたけれど、他人は、「優れた投資感覚」と見る。などなど、状況によって、人によって、千差万別なので挙げたらきりがありません。
人の反応ばかり気にしていると、心は常に自己防衛モード。疲れてしまいますよね。
そして、目の前にいる人の目を気にして、自分の「やりたい」を我慢し続けていると、
そのうち本当に自分が何をしたいかすら分からなくなってしまいます。
「やりたいことがわからない」は、人の目を気にしすぎた結果です。
つまり、「人の目が気になる理由」は、他人ではなく自分の内側にある視点の持ち方にあるんです。
私は学生時代、そして社会人になってからも、20代の頃はとにかく真面目で、優等生タイプの人間だったんです。
でも、あるとき気づいたんです。実は、カメラに向けたポーズが多かったなと。人の目をとにかく気にしていました。
同時に、人から表面的に評価されても、全然釈然としなかったんです。
人からの評価や、大多数に「良い」とされる生き方に乗っていると、なんとなく安心感はあるけれど、内側からの情熱は湧いてこない。内と外の不一致がいつもあって、違和感を感じていました。
でも当時は今みたいにわからなくて、言語化もできていませんでした。自分を知る・認めることをせず、逆に「人の目」に益々翻弄されていたような気もします。
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人の目が気になるときに必要なのは「境界線」
人の目が気になる時に必要なのは、自分の評価と相手の評価の間に「境界線」をもつことです。他人がどう思うか気になる時って、相手の評価を、相手の課題とせずに、自分事にしてしまっているんです。
相手があなたのことをAとするか、Bとするか。これは、相手の決断。
でも、自分の生き方は自分の課題です。
相手がAと評価したことに、どう反応するかは自分の課題。
ここで、「いやでも相手がこう動いてくれたら、自分はこんな反応しなくて済んだのに!」としてしまうと、結局堂々巡り。いつまでも相手に縛られてしまいます。
人の目を気にしてしまう時って、相手がこう思ってないかと、色々と想像して、妄想して、そして挙句の果てには、自分の想像に基づいて「こう思ってほしい」に合わせて自分を変え、そして相手も変えようとする。そんな動きがあるんです。
これでは当然自分らしく生きることは難しいし、色々と頭の中で考え過ぎて、疲れてしまいます。
「気にしない」よりも、「まず認める」ことから
とはいえ、「人の目なんて気にするな!」と言われも、いきなり、それができたら苦労しませんよね。
もっともっと自分の人生を大切にするために、もっと自由になりたい思いはある。
でも、一筋縄ではいかない気がする。
その気持ちすごくわかります。
というのも、「人の目を気にする」って、癖なんです。長年かけてやり続けてきた考え方の癖です。そして、誰にも多かれ少なかれあります。
だからまずは、「気にしちゃダメ」と自分を縛るのではなく、まずは、ここまでこのブログを読んで、やっぱり「私は人の目をすごく気にしてたんだな」という思いがあれば、正直に認めること。これは、とっても大切です。
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認めるというのは、最初は、ちょっとした静かな失望があるもの。自分を本当に光に当てるって、ちょっと怖くて自然です。自分を縛っていた考えや癖も見えてしまうことがあるから。それでも、「私は人の目をすごく気にしてたんだな」と認めることが、これからの人生を変える大きな分岐点になるんです。
人の目ではなく、「これが私なんです!」と堂々と生きれる人生は清々しいもの。
そのために、焦らず、丁寧に、自分を知る時間を取っていく、これはとっても大切なプロセスです。
人の目を気にする癖は、一人で整理しようとしても堂々巡りになりやすいものです。もし「自分はどうしたいのか」「本当は何を大切にしたいのか」を言葉にして整理したいと感じているなら、2週間の思考整理セッションも用意しています。
あなたの中に、眠っていた「やりたい」「こう生きたい」を目覚めさせて、日々を過ごしていくこと、それはとても自由で、充実した毎日につながっていきます。ぜひ、下記の記事も読んでみて下さい。
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