自分を知るということ

自己理解

自分を知りたいと思っている人が、実は本当は、自分のことなんて、全然知りたいとは思っていない・・・なんていうことがあります。

自分を知るのって、結構、勇気がいるんです。

自分を知るっていうのは、自分が普段から見えている部分ではなくて、見えない部分も知るってことです。

見えない部分は、よくわからないですから、何が隠れているんだろう・・・と思うと、少し、怖くもあり、もしかしたらそう簡単に受け入れられるものかどうかすらわからないんです。

ああ、この人って本当に変わる気ないんだな〜と思う人の特徴は、いつも自分を正当化する人です。

人に何かを言われると、すぐ言葉をかぶせる人。一回でも、はいと素直にいうことができない人。こういう人っていうのは、自分の見えない部分を見ることを拒否しちゃっているんですね。

他人が、自分のことについて、何か言ってくるというのは、見方を変えれば、普段は自分が見えていない部分に気づくチャンスだったりもするんです。

たとえ、相手が言う言葉が、そう簡単に受け入れられるようなものでなくても、少なくとも、耳を貸すということは、自分が成長していくためにはとても必要だと思います。

でも、耳を貸さずに、「あの人は、こうだとか、ああだとか」・・・そうやってすぐ他人をジャッジすると、結局、何にも得られないんですね。

人間関係ほど、自分を変えるトレーニングになるものはありません。人間関係を放棄したら、自分なんて見えてこないし、自分を悟ることも、自分を知ることも、自分を改良することも、なかなか難しいと思います。

人と関われば関わるほど、自分が見えてくるんですね。

でも、人間関係って、傷ついたりもするんです。だから、怖い。勇気がいる。それで、躊躇しちゃって、楽な方、楽な方を選んでいくと、いつまで経っても自分が変わらない、そして、時がどれだけ経っても、自分は同じ自分だから、会う人を変えようが、環境を変えようが、似たような問題にぶつかるんです。

自分というのは、他人との関係を通して、見えてくるものです。だから、他人との関係の中で、ちょっとした自分の心の動きに敏感になれるといいですね。

たとえば、役所や病院での自分の対応とか。スーパーでものを買うときの自分の態度とか。そういう小さなことから自分を見ていくんです。

もしかしたら、相手の仕事ぶりを批判するようなことを、心の中でしているかもしれません。そうしたら、「あ〜あ、遅い人の対応で、大変だったよ。」とするのではなくて、「あ〜、自分はまだまだ人を裁いているんだな。」と知ることもできます。

そしたら、少なくとも、自分は一生懸命に仕事をしようと思うかもしれないし、もしくは、自分はこうやって人を裁くんじゃなくて、もう少し忍耐を持って、寛大な人でありたいなと思うかもしれないし・・・自分のことを知ろうとすれば、ちゃんと見えてくるんですね。

こういう一見、面倒臭いようなことをしていくっていうのが、自分を知るということです。

 

 

写真:静岡県中田島砂丘

Posted by kokoronoeiyo