【自己受容】自分が今やっていることを認められない理由

悩みの正体

今回の記事は、【やりたいこと探しを終わらせるために!】「やりたいことがわからない」の正体は?の続きです。

前回の記事で、自分が今やっていることを、何となく肯定できた方は、ぜひそのまま、更なる自己受容を深めてください。

もし、まだ前回の記事を読んでいない方は、↓

【やりたいこと探しを終わらせるために!】「やりたいことがわからない」の正体は?

の記事を読まれてから、戻ってこられることをおすすめします。

今回は、自分が「今やっていること」を、趣味とは言えない人が、次に考えたいことです。

それは、「どうして、趣味にできなくなってしまったのか?」という話です。

その答えの一つに、育った環境が大きく影響を与えていることがあります。

例えば、その人がいつも親から、

テレビなんか見ている暇があるなら、勉強しなさい!

とか、

携帯触ってる暇があるなら、部屋を片付けなさい!

とか言われていたとします。

すると、「テレビを見るという時間が否定される」、「携帯を触っているという時間が否定される」という考えを何度も聞くことになります。

そして、やがて、自立して、親からも離れて、結婚をして、家庭を持ちます。

本当は、本人の自由に好きに暮らせばいいのに、なぜか、「テレビばっかり見ていること」とか、「携帯でゲームばっかりやっていること」に対して、

罪悪感

を感じてしまうのです。

自由時間に何をやっていようが、咎めてくる人がいなくても、自分が自分に、

本当はやってはいけないことをやっている自分

と思ってしまう訳です。

当時ガンガン言っていた親も、その頃は、親なりに子供の教育の一つとして、頑張って色々言っていたんでしょう。

でも、もう状況変わりました。家族構成も変わりました。

何より、大人になりました。

好きにしていいんです。やりたいこと、したいこと、自由にやっていいんです。

誰も何も言わなくなったのに、自分だけが、「ダメ」と言い続けているような状況です。

もし、何か自分の中に厳しい基準を持ってしまっているかもと気づいた人は、子供の時に親や先生から言われたことが、未だに影響している可能性があります。

なので、

もう時代は変わった、それはそれで子供時代のこと

と、ちゃんと区切りつけて、大人になった自分、したいことをする自分にちゃんと許可をあげることです。

ライフステージも変わって、環境も変わっています。

それなのに、いつまでも、誰かに言われ続けた何かをずっと引きずっていると、次第に、

得体の知れない揺るがない自分の基準

として、自分の中に居座ります。

そしてその基準が自分を苦しめてしまうんです。もし気づいたなら、

「ああやって、子供時代に言われ続けていたから、勘違いしちゃったのかな。」

と、自分に許可を出す練習を繰り返ていくと、次第に、自分を窮屈にする基準は薄らいできます。

自分に必要でないものを排出しよう、拒否しようとする能力は、人間は誰でも備わっていますからです。

親も絶対じゃないです。

先生も、上司も、あなたが尊敬する偉大な誰かも、人間は、絶対じゃないんです。

自分を苦しめる基準は持たなくていいんです。

持たなくてもいいものを、持ち続けていたんだな

と認めること、これがスタートです。

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