アドラー心理学「嫌われる勇気」自己中心性(10)

心が軽くなる考え方

今回は、自己中心性について取り上げます。

アドラーの言うもう一つの「自己中心性」

自己中心的な人といえば、どんな人を思い浮かべますか?自分勝手な人、自分本位な人、自分の思い通りにするために、他人を困らせたり、迷惑をかける人をイメージするかもしれません。

こういう人は確かに自己中心な人ですよね。世界がまるで自分中心にすべて回っているかのように振舞います。

逆に、自己を無にして、家族のために、誰かのために身を粉にして働いたり、息子や娘のために、何から何まで尽くす人もいます。

ただ、このような他者への貢献の場合、もし、必死に頑張った人たちが、周りの家族から、何も感謝されなかったり、むしろありがた迷惑のように扱われたら、どのような気持ちになるでしょうか。

自分がやっていたことは、間違っていたのだなと素直に認められたらよいですが、心の片隅でどこか「こんなにやったのに」という不平不満が出てくる可能性が大いにあります。

そうなると、自分がやってきたことが全て否定されたような気持ちになって、大きく落ち込んだり、虚しくなってしまうかもしれません。

アドラーは、他者からの評価や承認に怯えながら生きている人もまた「自己中心」であると言っています。これがもう一つの自己中心性です。

自分が人からどう思われるか、人が自分のことをどう捉えてくれるかを気にして行動するのは、「わたし」にしか関心がなく、その意味においては、これも立派な自己中心の生き方なのです。

他者から良く思われたい、褒められたいなどの気持ちは、「他人」への関心よりも、自分への執着の表れでもあります。

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少しでも他者からの評価を求めていると苦しくなる

他人は自分のことを好き勝手に評価します。自分がベストを尽くしたと思っても、他人の基準では全然そう見えなかったり、自分は手を抜いていると思っても、他人にとっては、感謝しきれないほど喜んでいるかもしれません。

他者の評価は自分の意志とは全く関係なく生じます。

自分が好き勝手に人のことをどう思うこともできるのと同じように、他人も自由に、好き勝手に評価することができるのです。そして、他者の評価そのものに、自分は一切関わることができません。

そうなると、他者からの評価を求めることは、少しもない方が賢明です。なぜなら何一つ関われないものを気にしたところで、どうにもできないからです。

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自分が一切入り込めない領域に首を突っ込もうとすればするほど、生き辛くなります。できないものはできない、人は勝手に自分を評価する。このことを潔く認めた方が、幸せへの近道です。

いい意味で好き勝手に生きる

アドラーは「あなたのことをよく思わない人がいるのは、あなたが自由に生きている証」と言います。

みんなに好かれたい、人から嫌われることが耐えきれない人にとっては、決してすんなり受け入れられることではないかもしれません。でも、そもそも人がみんなに好かれようとすることは、絶対に不可能です。

自分が全ての人を好きでないことを考えれば容易に想像がつくと思います。人も、自分と同じように、好き勝手に選び好みをするのです。

だから、会う人、会う人に合わせて、他人から気に入られようとすれば、当然、どこかで不自由な生き方をしてしまいます。

自分を殺して他人に合わせることが、結局自分にとっても、他人にとっても喜びであるならいいのです。でも、そうでないことに対しても、他人に合わせようとし始めると、どこかで歪みが生じるのです。そして結局、他者に認められない、うまく気に入られないのが受け入れ難く、どうやってこの「わたし」を認めてもらおうかと、「わたし」への執着=自己中心性につながっていきます。

私たちは共同体の一部であって、中心ではありません。

「他者からどう見られるか」を気にする「わたし」への執着を捨て、もっと「わたし」がどう共同体に貢献したいかを考えていく時に、自分の居場所を見出し、安心感と幸福がついてくるんですね。

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