境界線を持つとは、自分の「やりたい・したい」の感情を所有すること
境界線の問題を抱えている特徴に、「本当はしたくないのに、する」という考え方があります。これは、
自分の「したい」という感情をしっかり所有できていない
ために起きます。
「自分が何をしたいのか」「したくないのか」を持たないので、他人の行動によって、他人の出方によって、自分を変えていきます。
休日のプラン一つすらも、「何がしたいのか」がわからず、結果的に、なんとなく、家族の意向に沿って、同意したのに、一度自分に耐えがたいことが起こると、一気に大きな喧嘩に発展したりするんです。
「本当はそんなことをしたくなかった」っていう自分が見えていなくて、とりあえず、流れで同意した結果、我慢ができない状況になって、ようやく、やっと、「したくなかった気持ち」に直面したからです。
自分が何をしたいのか、はっきり持っていないと、簡単に他人に流されます。もしくは、簡単に他人に流されることを好みます。そして、流されていった先に、自分を見失い、我慢をし、その結果、何かしらの形で怒りや嫉妬、恨みや蔑み、被害妄想や自己憐憫といったものとして出てきます。
確かに、世の中には、声の大きい人の意見が通る側面があります。でも、言えない自分になってしまったのも、長い年月をかけて、自分の思いや望みをちゃんと所有してこなかったからなんです。もしくは、長い年月をかけて、自分の思いや望みを自ら否定し続けてきたからなんです。
心の中にぐちゃぐちゃとした思いを抱えていては、自分がいざという時に、何を言えばいいのかわからないというのは、自然なことです。そして、自分が話す機会があったとしても、言おうか言うまいかを迷っているうちに、声の大きい人の言った意見で進んでしまうんですね。
何を言うべきか、言わないべきか、どこを賛成すべきか、反対するべきか、自分の思いすら把握できなくなってしまうのは、境界線の問題です。
なので、自分の心に、この問題があるなと認識したらならば、まずは自分が何をしたいのかにしっかり向き合う時です。
自分の中で、「私はこうしたい。」という結論を出し、そして、自分がしたいことの責任を自分でとるー確かに、それには、勇気が必要です。自分の感情を所有し、境界線を持つには勇気が必要です。
今までしてきた考え方や生き方とは、異なる生き方をしていくには勇気が必要です。でも、その勇気を出す価値があるのか、自分が本当にしたいことをちゃんと自分が所有し、自分の人生を自分が責任をもって生きていく、そんな人生に変えていくことに価値はあるのか。これは個人の選択にかかっています。
こころの栄養は、常にその勇気を後押しします。なぜなら、こころの栄養は一人ひとりには価値があり、自分の思いをちゃんと所有して、ちゃんと表現していくことに価値があると信じているからです。
人が心の中で何を思い、どう感じるのかは、どこまでも自由です。私たちには、常に選択肢があります。境界線を持つことは、その自由を守ることです。
自分の「やりたい・したいという感情」を持っていく生き方にシフトしていきますか。それとも、流されますか。
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