【地獄の言葉】家族から暴言を言われた!自分の気持ちとどのように向き合うのか?

家族との関わり方

今回は、家族から暴言を言われた場合、自分の気持ちとどのように向き合うのか?について書いていきます。

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家族から暴言を言われるというのが、非常に定義が広いので、ここでは、家族が何かしらの問題、依存症、共依存、精神疾患、鬱などを抱えているという前提で書いていきますね。

もし、特に依存症でも、共依存でも、精神疾患や鬱もなく、なぜか突然、暴言を言われた!みたいな方は、多分、何かしらサインがあるのに、気づいていないだけという可能性があります。

なので、そもそもなぜ家族が暴言を言っているのかすらわからないという方は、想いの箱のメッセージから状況を教えてください。ブログに取り上げて回答しますので、その際、名前の部分は匿名、ペンネーム等でお願いします。

さて、家族から暴言を言われた場合。率直に感じる自分の気持ちは、色々なパターンがあると思います。

悲しい。
辛い。
怒り。
理不尽。
納得できない。

などなど。

こころの栄養で言っている人間関係の境界線を持てるようになると、暴言に対しても、線が引けるようになるので、自分ごととして捉えるということもなくなって、平気でいれられるのか。と思われるかもしれないですが、そうではないですね。

やっぱり暴言ですら。耳があって聞こえたものに、不快感を感じるというのは、とても普通です。

なので、向き合い方の一つとしては、

自分の感情の処理を早めようとしないこと

もう少しはっきり言うと、「なかったことにしようとしないこと」をおすすめします。暴言って、言われたという事実が、辛すぎるので、一瞬でなかったことにしようとしてしまうことがあるんですね。

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そうやって、感情に蓋をすると、癒えてない傷に無理やり閉じてしまうような感じで、中で膿んでいきます。

心が重くなっていくってことですね。

だから、自分はどう感じているのか?怒っているのか、悲しいのか、憎悪を感じているのか?

自分が何を感じているのかにちゃんと正直になって、

私は○○に感じている。

という自分の気持ちを、正面から、ちゃんと感じるってすごく大切です。

暴言は断固として受け入れないこと

そして、その上で、言われた暴言に対して、断固受け入れない姿勢を持つことが大切です。適当に自分を安売りしないことです。

スルーするってことですね。

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家族であろうが、受け入れられないものは、受け入れられないことをはっきりと意思表示をする必要があります。ただし、難易度はそこまで低くないです。少し、勇気が求められます。

意思表示をするというのは、

あなたの暴言によって、私びくともしませんよ

っていう態度を持つってことです。暴言にコントロールされないってことです。

暴言を言われたことにかっとなって、更に自分まで暴言を言い返す。これは、暴言にめちゃくちゃコントロールされています。

もしくは暴言を言われたことにショック過ぎて、びっくりするくらいジャンクフードを大量食いしたり、いつもだったらやっている良い習慣を全部すっ飛ばしたりとか。

これも、暴言にコントロールされています。

なんで、暴言にコントロールされちゃいけないのかというと、暴言だからです。要は、あなたという人は、尊過ぎるので、そんな暴言に簡単に汚されちゃダメですよということです。

暴言を言われた時は、断固とした態度をもって、感情が落ち着くまでは、物理的距離を持ちましょう。以前の記事でも書きましたが、感情は、長続きできないので一時的です。

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自分のために、暴言を言った相手を赦すこと

そして、最後に、暴言を言った相手を赦すということです。

ただし、このプロセスは時間がかかると思います。ただ、覚えておいてほしいのは、あなたに暴言を言ってきた相手を赦すのは、相手のためではなく、自分のためです。

自分が解放されて、前に進んでいくためです。

自分のためなので、赦すために、相手も暴言をはかないとやっていけないほどに大変な状況だったんだとか、過度に相手を分析したり、相手をかばったりする必要はありません。

単純に、相手が暴言を吐いたことを、相手の大きな人生の過ちとして、赦すということ、それだけです。

誰かが、新品の着物にコーヒーをかけたとします。

新品の着物は確かに汚れてしまいました。でも、ずっと汚れた着物に注目していても前に進めません。

もちろん、弁償してもらうことも必要です。でも、同じものが二度と手に入らないなら、どうするでしょうか。新しい別の着物を着て、前に進んでいきます。

それは誰のためでしょうか。自分のためです。自分が、汚れた着物にずっと注目していたら、自分自身が前に進んでいけません。

なので、赦しは自分のためにします。自分が汚れた着物を脱ぐということです。

このたとえでは、新品の着物はあなたです。コーヒーは暴言です。

新品の着物に、コーヒーをかけられるようなことなんて、もちろん、避けられるものなら避けたいものです。

でも、自分は自分。他人は他人。相手の言動も全てコントロールすることはできません。

なので、今後一切、コーヒーを受け入れませんという態度を持ち、新しい着物に着替えていく準備をしていきます。なぜなら、あなたが、新品の着物に値する、美しく、尊い人だからです。

赦しのプロセスは時間がかかるので、一人でやろうとせず、心に向き合える安心した環境下で、行われることをおすすめします。

もし、私と一緒にやりたい方は、人間関係の境界線回復プログラムから、ご連絡を下さい。

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