自分の人生に満足できない理由
自分の人生に満足していない人って、「自分は足りない」と思っています。
何に?
お金に。
愛に。
地位に。
交流関係に。
容姿に。
・・・
その他もろもろ。
とにかく「足りない」と思っている。だから、満足しない。
で、その次に思うことがほぼ100%これ。
「もう少し足りたら・・・」
・・・
・・・
・・・
このループをやり続けている限り、自分の人生に満足することなんて、死ぬまできません。
本当、死ぬまでこない。
数字に限界がないことを知れば明らか。
数字に最大値なんてない。0を加え続ければ、どこまでも大きくなってしまう。つまり、限界がない。
でも・・・
それは嘘。
ただの理屈上の話。
真理は、限界はある・・・です。
時間も資源も限界はあるし、1日にやれることにも限界はあるし、食べられる量も限界があるし、歩ける量だって限界はある。 ...
友が旅立ちました。
今日の夕方、私の大先輩でもあり、大切な友人が亡くなったという連絡が来ました。彼女に最後に会ったのは昨年の11月。大きな病気を患っていたことは知っていたけれど、まさかあの時が最後になるとは思ってもいませんでした。「まさかあの時が・・・」別れはいつも突然です。
夕方に連絡を受け取った後は、数十秒ぼっとして、その後、子供のようにワンワン泣きました。そして、頭の中で、彼女との思い出が、スライドショーのように1枚1枚思い起こされました。
彼女が亡くなった今日も、私はいつも通り、ご飯を食べ、夜に約束があったので、そこへ向かいました。本当に、「死」というのは日常の一つであると感じました。誰かが亡くなっても、世界は動き続ける。一人一人が絶え間なく動く日常の中で、ぽつんぽつんと死んでいき、絶え間なく動く日常の中で、今日もどこかで新しい命が生み出されています。
どんな人でも「死」があることを考えると、私たちは本当にいつも「終わり」のある毎日を過ごしているのだなと心から思います。
1日の終わりは、夜が来て、寝るとき。この世での人生の終わりは、死ぬ時。
“気づき”や”良かったこと”を忘れない
早いもので、もうすぐ2月も終わりますね。3月に入ると一気に春モードになり、寒い冬ともお別れです。ついこの間、元旦を迎えたと思えば、はや3月です。
1日1日は、たっぷりあるのに、振り返ってみると、その月日の流れの早さに驚かされます。もたもたしていると、あっという間に今年も過ぎてしまいそうです。1日1日、今この瞬間を大切にして、日々を過ごしていきたいなと思います。
今朝、たまたまノートを見返すと、2月の初めの方に書いた気づきのメモ書きがありました。それを読みながら、「あ〜こんな、いいことがあったんだ。」なんて思い返していました。
自分の中におきた、心の感動だったり、喜びも、月日が経つと、ついつい忘れてしまう・・・これは本当にもったいないですね。そのメモを見るまですっかり忘れていました。些細なことほど、いいものが潜んでいます。
特に、調子が悪い時、本当に試練の中を通っている時に、気づかされた学びは、本当になかなか出会えるものではありません。そしてそういう学びこそ、本当に自分を成長させるための宝物のような気づきであったりすることがあります。 ...
今は「人生前半」それとも「人生後半」?
本を読んでいた時にこんな文言に出会いました。「40歳前後は、ちょうど「人生前半」から「人生後半」へ移行していく時期であり、心の課題も大きく変わってくると言われます・・・」
平均寿命が80代だからか・・・と思いましたが、何だかこの人生前半、後半という言い方に少し違和感を感じました。
今は「人生前半」か「人生後半」かはわからない私は20代で、2人の大切な友人を亡くしています。一人は、中学生時代の同級生で、席も隣同士で本当に冗談を言い合いながら、何でも言える友達でした。ある日、深夜に交通事故を起こして即死・・・、本当に突然旅立ってしまいました。
もう1人は新卒の会社の同期でした。研修時代を同じグループで共に受けました。彼女は、突然の病で倒れ、私が駆けつけた時は、もう意識不明の昏睡状態でした。そこから集中治療室で、意識が戻らぬまま、旅立ってしまいました。
2人の死はどちらも「突然」でした。自分がいつ死ぬかは全く予想ができないと痛感しました。
30代で死ねば、学生時代が既に「人生前半」から「後半」へ移行していたことになります。50 ...