正直に生きている?自分の心に嘘をついてしんどい人へ
今回は、正直について、取り上げたいと思います。正直と聞くと、どんなことを思い出しますか?
私は、瞬間に思うのは、「正直者が馬鹿を見る」っていう言葉です。なんででしょう。正直に付随する言葉として、多分何度か聞いてきたからだと思います。
そもそも、正直って、言葉そんなに日常では使わない言葉な気がします。
「正直に言って!」っていう言葉が家庭内とか職場で出てきたら、明らかにやばいことが起きていますもんね。
わざわざ、「私正直なんです。」っていう人もあまりいないと思うし、「私、正直じゃないです。」なんて言ったら、え?嘘つきなの?ってなりますよね。
「正直に言えば、」こういう接続詞的な意味で使うのが多いかもしれませんね。
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さて、心において、正直であるということは、実はすごく難しいことです。
なぜなら、勇気がいるから。
正直でないというのは、どういうことかというと、見て見ぬふりをするってことです。例えば、お年寄りが目の前にいるのに、席を譲らないとか。
寝ていて、気づかなかったならいいけれど、気づいて、認識して、困ってそうだとわかったのに、行動しないとか、これは正直じゃないですよね。
つまり、こうした方がいいなって思ったことしないこと、これは正直じゃないです。心は感じた、思った。なのに、感じなかったことにする、思わなかったことにするってことです。
こうなると、心は重くなります。だって、もともと悪人で、思いもしないならいいけれど、思ったのにやらないから。
例えば自分の仕事。本当は○○の仕事がしたい。でも、部長に相談して、「本当は○○の仕事がしたいので、○○の部署移動を検討してもらえないでしょうか?」と言わない。
これも正直じゃないですよね。本当は別の仕事に興味があるのに、まるで今の仕事が大好きかのようにふるまう。全然正直じゃないし、心はどんどん重くなります。
部署移動したら、会社もウィンウィンで、オッケーな話かもしれないのに、その勇気がなくて、ちゃんと正直にならないから、挙句の果て我慢が積もってしまいます。そして、心が重くなりすぎて、もう無理ってなって、急に辞めたり転職したりする。正直じゃないですよね。
正直ではないってのは、心にはとっても重いんです。なぜなら、先にも書いたように、心が「既に」感じたこと、思ったことに対して、「なかったことにする」から。
行動は後からです。もう既に心は感じちゃっているんですよね。
最初に書いた、電車の席を譲るか否かくらいの話だったら、次の駅で降りたら、もうとっくに忘れられるかもしれませんが、仕事の話だと毎日です。
正直であるかってことは、結局大小関係なく、小さなことに正直でない人は、当然大きなことにも正直になれない。
逆を言えば、すぐ忘れるような些細なことにも正直であることは、大きなことにもちゃんと正直になって、心に変な重みを蓄えなくて済むんです。
正直に生き始めると、最初は抵抗があるかもしれませんが、だんだんとかなり楽になってきます。なぜなら、単純に、思っていることとやっていることが一致しているから。
シンプルなんです。
心が感じている、それをやる。それだけです。「本当の思いは・・・」とか、「本音は・・・」とかをどこかの貯蔵庫に蓄積したりしません。
正直に生きることを始めるためには、まずは小さいことから、正直をはじめてみることをお勧めします。なぜなら、最初の頃は、すごく抵抗感があるから。
たとえば、今日のレストランどこに行く?と聞かれたら、本当はイタリアンに行きたいと思っているのに、「どこでもいいよ。」っていうのをやめてみる。これも正直ですね。
イタリアンに行きたいとはっきり言う。別にその案が通るとか、通らないとかはあまり重要でないです。ただ、少なくとも正直に自分の気持ちを表現したということがすごく自信につながります。
こういうことを積み重ねていくと、どんどん正直がデフォルトになって、心が軽くなっていきますよ。
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