「時間の無駄だった」と後悔している時にやる3つのこと
1日24時間です。時間は有限です。誰でも、限られた時間を、より良く過ごしたいと思っています。同じ時間を2人が過ごしても、1人にとっては楽しく、充実した時間かもしれません。でも、もう1人にとっては、時間が流れるのが遅く、無駄にさえ感じて、帰り道に、なんであんな時間の使い方をしたんだろうと後悔をするような時間になるかもしれません。
今回は、後者のように「時間の無駄だった」と後悔している時に、向き合うべき3つのことを書きます。
目次
1)「時間は無駄でなかったとすると…」の答えを持つ
過去の意味は、現在の状況によって変わります。離婚したいとまで憎んだ夫が、病気やストレスから解放されたりして、自分を大切にするようになったり、精力的に働き、家庭に対して献身的に変わったら、もう、過去どうであったかは関係なく、「今が幸せ、夫も好き」にころっと変わってしまうのと同じです。
今に満足できるようになると、人は結局、色々あった過去を赦せたり、過去のことなど考えなくなったり、それどころか、「過去のおかげで今がある」と、まるで良くなかった過去に感謝するかのように、肯定的に捉えることができるようになります。
この仕組みを使います。「時間が無駄だった」と思ったのなら、このままで終わらせません。このままで終わらせれば、後悔とイライラと、自責で終わります。その代わりに、「時間は無駄ではなかったとすると?」を考えます。考えるんです。考えるというのは、そうでなかった場合を「考えを出す」ことです。考えて、それが何かを明らかにします。たとえ些細なことでも、考えれば一つや二つは出てきます。
2)何がその行動をとらせたのかを考える
多くの場合、「時間が無駄だった」と思うようなことは、その場限り的で、なんとなくに流されて選択した行動が多いです。つまり、なんでそれに参加するのか、その時間を過ごすのか、という目的が曖昧で定まっていないものが多いです。「誘われたから」とか、「たまたま時間があったから」とか、「なんとなく良さそうだったから」など、動機は場当たり的です。
目的が曖昧な行為は、「無駄な時間になる」リスク大です。「この人と共に過ごすこと」が目的なら、その人と共に過ごせているだけで、目的達成だし、「あの食事を食べること」が目的なら、その食事を食べられれば、目的達成です。
その行動をとった目的は何だったのかを思い巡らし、なぜそれに沿えなかったのかを考えると、「時間の無駄」になったと感じた理由が分かってきます。
3)時間をどう使うかのルールを持つ
時間の無駄を作ってしまうのは、時間に対するルールが明確になっていない場合が多いです。自分にとって一番大切な時間は何なのか。何の時間を何が何でも死守しないといけないのか。一番大切なものだけでも定まっているかいないかで時間の使い方は変わってきます。
「夫をできる限りサポートすること」が大切な時間なのか、「仕事の〇〇を必ずすること」が必須条件なのか、「沢山の友達を作ること」なのか・・・時間に対するルールが明確になっていると、自然にそれ以外のものは「してもしなくてもいいもの」の分類に当てはまります。これだけでも、無駄な時間を作るリスクはかなり減ります。
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「無駄な時間だった」と思うことのメリットは一つもありません。無駄な時間だったと思う時点で何かを是正するタイミングです。
もしかしたら、本当は全然無駄ではないのに、「無駄だ」と思ってしまう自分自身の問題なのかもしれません。そして、たとえ本当に無駄だと思っても、その無駄を活かす作業をすることで、無駄なことは一つもなくなります。
人生に無駄なことなどない。人はよく言いますね。でも、本当にそう感じる毎日を送るなら、日々の出来事からの反省と改善は必須です。
追伸:以上3つのことをしても、やっぱり時間の無駄だったと思うかもしれません。その時は、「今」は確かに無駄だったんです。それでいいんです。本当は、後々それがどう繋がっていくかは分かりません。でも、今は無駄としか思えないんです。だから、無駄としか思えない「今」はそれはそれでほっておいて、次へ進めばいいのです。
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