後悔に対する向き合い方
「どうして、あの時、あんなことを言ってしまったのか、言わなければ良かった」、「どうして、あの時、あんなことをしてしまったのか、しなければ良かった。」こういう後悔の思いを抱く時に考えたいことです。
誰でも後悔はあると思います。そして、後悔そのものは、別に自然な感情で、悪いものではないと思うんです。でも、後悔はしんどい、できるなら後悔したくないと思うのもまた自然な感情と思います。
後悔した時に、まず自分に言っていきたいと思うことは、
「その時、その瞬間は、それがベストだと思った。」ということです。
もしかしたら、咄嗟の自己防衛だったり、自己弁護だったりで、言ってしまい、やってしまったのかもしれない。でも、その時、その瞬間は、自分の脳が、それがベストだと思って、判断して、反射的だったもしれないけれど、行動したんです。
それはそれで、その時、その瞬間、自分を守ったと思うんですね。
だから、冷静になって、落ち着いて、一息ついた時に、「なんであんなことを言ったんだろう?」「なんであんなことをやったんだろう?」と、あとにな ...
【想いの箱から】社交的になることで、気持ちが疲れてしまうんです。
はじめまして。こんにちは。
私はプライベートでは、ひとりで過ごすことが多く、そして、それが何より楽なのです。
なのにです。職場や、公の場になると、社交的で、場を盛り上げたりしています。
すごく疲れます。
スイッチが切り替わるのか、無理に切り替えているのか、もはや分かりません。
性分と言えばそれまでなのでしょうが…。
気持ちが疲れてしまい、オフはほとんど何もできません。悩みです。
アドバイスをいただけると幸いです。
よろしくお願いいたします。
(40)
40さん、はじめまして。こんにちは。
プライベートで、お一人で過ごされる時、それが何より楽と思われているのですね。
でも、職場や公の場になると、社交的で、場を盛り上げられる40さんになるんですね。
社交的で場を盛り上げるということは、誰もができることではありませんし、それができるというのは40さんの個性であり、魅力の一つではあると思いますが、た ...
他人が自分の境界線へ侵入してきた時の対策:スルー力を高める
こころの栄養では、「境界線」の話をよくします。
境界線の基本は、次の2つ。
1)他人の領域に入らないこと
2)自分の領域に他人を入れさせないこと
です。
1)は、他人の境界線、他人の選択、他人の行動、他人の人格に入り込まない・・・つまり人を変えようとしないことで、2)は自分の選択、自分の行動、自分の人格に対して、人を受け入れない・・・つまり人に流されないことです。
人間関係の問題のほとんどは、他人の領域に入り込みすぎか、つまり変えられないものを変えようとしているか、自分の領域に他人を入れ込みすぎ、つまり自分を他人に明け渡してしまっていることで生じます。
だから、こころの境界線は、とても大切なんです。
今回は、2)について見ていきたいと思います。
自分の境界線に他人を入れさせない方法は、
スルー力
を高めることです。
でも、これはすごく誤解されがちで、
スルー=無視ではない
です。
家族の中に、アルコール依存 ...
妊娠したいのに、夫が協力的ではない
妊娠したいのに、夫が全然協力的ではないんです。どうすればいいんでしょうか?
30代 ぬし
ぬしさん、こんにちは。
妊娠するか、しないか、の前に、妊娠の先にあることって、当たり前ですが子供を持って、育てることですよね。
で、誰が育てるかといったら、夫婦で育てるんですね。夫さんと、ぬしさんの二人で育てるんです。
だから、妊娠して、子供を持って、育てていくというのは、夫さんの協力はとても必要になってきますし、親になるということは、協力する・しないじゃなくて、もう義務のレベルになってきますよね。
「やるのが当然」みたいなものです。
「夫が協力的ではない」とありますが、「夫を協力的にするにはどうしたらいいか」と考えるのは、妊娠の場合はちょっと違うと思います。
どこか、ぬしさんの中に、「協力さえしてくれればいいのに!」という嘆願の声が聞こえます。そして、ぬしさんの中で、夫さんはどこか「協力程度でいい」ことを受け入れているよう ...
「私さえ我慢すれば」の思いを捨てること③
シリーズの最終回です。
「私さえ我慢すれば」の思いを捨てること①・・・「自分になっていくこと」について
「私さえ我慢すれば」の思いを捨てること②・・・「自分の万能性を否定すること」について
「私さえ我慢すれば」の思いを捨てること①の記事で、
人が脱いだもの、
人が食べたもの、
人がやるべき仕事、
本当は、心がついてきていないのに、
「私さえ我慢すれば」でやっていませんか?
本来守るべき、自分自身の境界線を放棄してしまうことは、
相手を無防備に、自分の中に受け入れることを意味します。
これは、愛でも思いやりでもないんですね。
どちらかというと、相手の境界線をも崩すお手伝いをしてしまうようなことなんです。
相手も本当は入ってきちゃいけないはずのあなたの領域に知らず知らずのうちに入りこんじゃうんですね。
ただ、これは別のトピックになりますので、また次の記事で書いていきたいと思います。
と書きました。
今回は、ここで書いた「別 ...
「私さえ我慢すれば」の思いを捨てること②
前回のテーマの続きです。
「私さえ我慢すれば」の思いを捨てていくことは、自分の限界であったり、
自分の境界線をちゃんと守ることにつながります。
「私さえ我慢すれば」に続く言葉は、やはり、
できる
なんですね。
そして、この「できる」という言葉はとても肯定的で、可能性に溢れているような言葉に見えて、
実は、考え方によっては、危険な香りがする言葉でもあるんです。
というのも、
自分自身の万能性
を認めることになるからです。
自分自身が万能であると認識することは、心にとっては、
とても重いです。
「万能ではないのに、万能だと思う」
と言うよりも、
「(人は誰でも)万能にはなれないのに、万能であらなくてはいけない」
と思うことが、とっても重いんですね。
自分さえなんとかすれば、
自分さえ努力すれば、
できる
うまく回っていく
という思いの中には、自分への万能性を追求さ ...
人の失敗を絶対に責めないほうがいい理由
人の失敗を絶対に責めない方が良い理由は、
自分が本当に挑戦したいことに、ちゃんと挑戦できるような心を作っていく
ためです。
そして、人の失敗を責めないというのは、境界線がちゃんと機能しています。
人の失敗については、「心の中」でも、実際にでも、絶対に責めない方がいいです。
人の失敗を責める時、必ず、
「失敗=してはいけないもの」
という考えが、心の中に存在しています。
この考えは、他の誰でもなく、自分に対してもちゃんと適用される自分の価値観なんです。
この価値観は心をずっしり重くします。
人の失敗を責める人は、
間違いなく自分の失敗を責めます。
人に完全を求める人は、
間違いなく自分も完全であろうとします。
もしかしたら、職場や人間関係で、「あの人は、自分もできないくせに人にばっかり言う」
なんてことを思うかもしれませんが、
人の失敗を責める人は、自分ができないことを平気とは全然思っていません。
相 ...
あまり反応がない人とどう接したらいいの?
職場で、話しかけても全然リアクションがなく、その人と話す時は、ついつい言葉を選んでしまいます。話しても特に反応がないので、どう思われているのか気になってしまいます。
人は、話をする以上、反応が欲しいのが自然です。イエスでもノーでも、自分が言ったことに、何か返ってくるというのを当然の様に期待してしまいます。
だから、思った通りの反応が得られないと、まるで一方通行で、すっきりしないんですね。会話というものは、やはりキャッチボール形式で、言ったら何かが返ってくるのをどこか期待していますから。
反応がない人に対して、「反応をしてください。」ということはできないんです。勿論、コミュニケーションをとって、お互いの気持ちを疎通させるのはできますが、最終的にどう反応しようが、その人の自由なんですね。
相手の反応を見て、「人が話しかけているのに、そんな薄っぺらい反応なんて失礼だ!」ともしかしたら心の中で感じているかもしれません。でも、これはあくまでも、自分が感じた自分の価値観なんです。
相手が反応をしたいと思えば ...
体重が減らなくてイヤな思いをしているあなたへ
体重を減らしたいのに、全然減らなくて、
減らないどころか、増えて・・・そのことにイヤな思いをしているあなたへ。
こころの栄養ですから、身体的なことには触れません。
ただ、体重を減らしたいのに、減らないことで、感じる「イヤな思い」が厄介ですよね。
結局は体重云々よりも、この「イヤな思い」がイヤで、体重が減ることでこの「イヤな思い」を消去できると言う期待があるんですね。
だから、なんとかしたい・・・心は焦ってきます。
もう既に、対策として、色々と運動を始めたりとか食事を変えたりとか、努力されていることもあるかもしれません。
行動しているからこそ、今度は結果に焦る・・・。自分が思っているスピードで変わっていかない・・・イヤですよね。
何キロになりたいという思いがあるかもしれません。
その数字には、以前は何キロだったとか、10年前はこうだったとか、そんな過去の自分が基準になっているかもしれません。もしくは、人と比較しているかもしれません。あの人は、あんな見た目だから、私もなりたいとか・・・ ...
正論で相手を責めたくなった時の対処法
前回の記事で、正論からは離れようということを書きました。
苦しい時って、正論は聞きたくないんですね。
「(正論なんて)わかっている・・・でも・・・」がほとんどですから。
苦しい時は、正論ほど不要なものはない!ってくらい、正論はいらないんです。
それでも、正論をつい言っちゃう人がいると思います。
わかっていても、正論が言いたい!っていう症状。
ありますよね。
「苦しい状況にある時には、正論を言わないようにしよう!」とするのも、
ある意味、立派な正論になってしまうんですね。
「正論を言っても仕方ないとわかっているけれど・・・でも・・・」
って、正論を聞きたくない時と同じ思考回路になっちゃうんです。
配偶者にムカついている人、
子供が心配で仕方ない人、
親のことにイライラが収まらない人、
もしも、やっぱり正論を言いたくなったら・・・
「私なら・・・こうする」
このアプローチで言ってみてください。
早く起きろ! ...