【自己欺瞞】上司嫌い、友達嫌いをきっかけに関係性を断っても、人間関係の問題がついてくる理由

シンプルに考える, 悩みの正体

心に葛藤を感じていることは、想いの箱(メッセージ)から、お送りください。お待ちしています☆

 

自己欺瞞という言葉があります。辞書を調べると、次のように書いてあります。

1、自分で自分の心を騙すこと。

2、自分の信条や良心に背いたことを無意識で行う場合にも、意識しながら強いて行う場合にもいう。

(精選版 国語大辞典)

1について、まず、自分自身を騙すというのは、自分が誤りをした場合、間違った場合に、問題を正当化すること、これは、自分自身を騙すことに繋がります。あの人のせいで…とすることで、自分の問題を騙す、なかったことにする、人の問題にすり替えることができます。騙すというのは、嘘をつくことではありません。騙すというのは、嘘を本当だと思い込ませることです。

2については、まず2種類あるということ。一つが「無意識」の時。つまり、自分の良心などに背いているということすら、気づいていない状態。「なんでこんなに苦しいのかわからない」、「なんでこんなに怒っているのかわからない」という得体のしれない心の葛藤を抱く時は、この「無意識」の分類によく当てはまります。

そして、もう一つが、「意識しながら」の時。これはまさに、自分の良心を意識しているわけなので、辞書の言葉にもある通り、まさに強いるという感じです。本当はするべきでないと分かりながらやり、そうした自分を正当化したり、言い訳したりすること。正常な状態だと、自分の良心に逆らうことが段々としんどくなっていきます。

「上司は最低と思っているのに、上司に愛想を振る舞う。でも、いつまでも嫌いな上司にいい顔をするのは疲れたから、もう会社を去りたい。」

という悩みについて、この悩みを観察したいと思います。

上司のことが嫌い、上司が嫌だ、顔も見たくない・・・と思っているけれど、でも様々な理由や目的から、行動は上司に愛想よく、笑顔で過ごす・・・。ただ、それは仮面の顔なので、次第に疲れてきて、「会社を変えようか・・・」とか考える・・・。

つまり、所属組織から抜け出すことで、物理的に、嘘をつかなくていい状態を作り、自分を守るわけです。心の中で、最低だと思っている上司に対して、「愛想を振る舞い続ける」わけですから、当然、苦しくなってきます。

ちなみにこころの栄養は、常に軽く考えることを勧めます。こころの栄養は、苦しくて、逃げたい人に対して、もう少し踏ん張りなさいと言いません。辞めたい人は辞めればいい、逃げたい人は逃げればいい、笑いたくない人は、笑わなければいいです。

そして、上司は恐らく、あなたが最低と思う程までの何かしらの理由が、確かにあったんだと思います。「上司が最低だ」「あの友人がもう嫌だ」と思うくらいまでの何かがあった、それに対して、今立場上、また関係性上、そして、また冷静な大人であろうと、必死に「普通」を守っているのが、いい顔をするという行動に出てきます。

とはいえ、自分の本当の気持ちを隠し続けて、いい顔をするのは、疲れた。疲れて当然です。だから、会社を辞めようとする。辞めたくなって当然です。

辞めたくなる理由は、いい顔をするのが疲れたから、とありますが、いい顔をするのは、解決手段であり、問題の根本は、「上司」を「上司は最低!」と日々思っているということです。仮面をかぶるのは、かぶらないと組織ではやっていけないからの手段に過ぎません。

当たり前ですが、上司は上司です。上司は好きなように自分の人間をやっていく自由があります。自分にとって最低な上司も、ほかの誰かにとっては、大好きな人です。

「笑顔で上司と接するのが辛いから、会社を変える!」のではなく、本当に辛いのは、自分自身が「上司は最低」と思ってしまうことです。そして、もちろん、上司は最低と思っていいんです。ただ、文章の形で書いた時に、

いつまでも嫌いな上司にいい顔をするのは疲れたから、もう会社を去りたい。

ではなく、本当は、

自分がいつまでも、上司は最低だと思うのには疲れたから、もう会社を去りたい。

が本当の理由です。

こういう自己欺瞞を丁寧に取り除くと、問題の本質が見えてきます。上司にいい顔している自分だと、「大変なのに、愚痴一つ言わずに頑張っている自分」にすらなり得ます。また、頑張っている自分だから、自分はどちらかというと、被害者(犠牲者)でもあり、自分を守るために仕方ないという見方もできます。

でも、「上司は最低だ」と思う自分に疲れたとなると、話は少し変わってきます。こころの栄養は、重く考えません。「上司は最低」と考える思いは、重いんです。そしてこの重い考えが、気持ちをどんどん重くし、悩みへと変えます。

本当の重さは、上司が最低だと思う自分にあったのに、表面的に目の前にいる上司に仮面をかぶるのが疲れて、仮面をかぶらなくていい環境に移ろうとして、無理に行動を変えると、悩みはずっとついてきます。

人は感じて、行動します。そして、肝心な「感じる」の部分、つまり、上司が最低だと感じたことを適当に放置して、行動だけを変える(この場合は仕事を変える)と、悩みは新しい場面でもまた出てきます。

たとえ会社を変えたとしても、今度は別の誰かに葛藤したり、今度は上司ではなくて、「人事は最低だ」とか、「取引先は最低」だとなるかもしれません。

そんなことをやり続けていると、次第と最低だと思う自分にも疲れてきて、「割り切る」とか、「定年までの我慢」とか、もっといくと、精神論に入ってきて、「完璧な人はいない」とか「みんな欠点はある」とかの綺麗事や自己啓発的な言葉を心に言い聞かせて、自分の感情を麻痺させようとするかもしれません。

すると、今度はまた新しい自己欺瞞を生み出すという、自己欺瞞が自己欺瞞を更に増幅させてしまいます。

ここでは、「上司は最低だ」と思うようになってしまったのは、もしかしたら、

✔︎本当は自分には、劣等感があり、上司といると、自分のコンプレックスをいつも思い出させたかもしれない。―【劣等感という問題】

✔︎上司は、あまり自分への評価を言ってくれない人で、自分は人から認められないと安心できず、不安になっていたのかもしれない。―【他人によって自分の価値を高めようとする問題】

✔︎同僚が昇進したことが、上司の自分への評価はないと勝手に決めつけたかもしれない。―【人との比較癖や思い込み癖問題】

など、様々な理由があったかもしれません。

実は、上司そのものの人格や、上司との人間関係以前に、自分の感情の未処理の部分が、たまたま上司という存在で顕在化してしまっただけということはよくあります。

自分のこころの奥底にずっと抱えていた葛藤が、上司の態度・言動・仕草などによって、刺激され、結果的に「上司が最低!」に繋がったかもしれません。

そうなると、問題は次第に上司ではなくて、結局自分ごとになってきます。自分ごとになると、これは、コントロールを取り戻したことになります。

上司という変えられないものによって苦しめられていた犠牲者ではなく、上司という存在を通して、気づいた自分の心の重みにアプローチをかけていくと、上司に焦点を当てることはそこまで重要ではなくなっていき、次第に上司からは解放されていきます。

自分の感情に丁寧に向き合っていくと、悩みは乗り越えらます。逆に自分の感情に向き合う代わりに目の前にいる「上司」で片づけようとしたり、逃げると、悩みはいつまでもついてくるんです。

もし、今悩んでいることで、あの人嫌い、この人嫌いみたいな思いがあるなら、いきなり何か行動を変えようとする前に、「あの人嫌い」「この人嫌い」という思いの中に、自己欺瞞がないか、一度疑ってかかってみてください。アクション事項として実際にワークに取り組みたい方は、自己欺瞞が見つかった、見つかりそう、あるないかわからない、そんな思いをそのまま【想いの箱】に書いて送ることもできます。

 

こころの栄養とは?
こころの栄養のメインテーマ:人間関係の境界線について