アドラー心理学「嫌われる勇気」自分が嫌い(4)
アドラー心理学4回目は、「自分が嫌い」な状態とどう向き合うかについてです。自分が嫌いのまま「幸せ」になることは難しいです。人生が充実している人、何かに挑戦して努力している人、他人に尽くしたり親切ができる人は、「自分」に対して、肯定的であり、その「自分」がやっていることも受け入れています。自分が「自分」であることを「良し」とし、自分を大切にします。
長年、何かに悩み続けていたり、うつ病や依存症に苦しんでいたり、対人関係を極端に避けようとする人は、自分を肯定的にはなかなか受け入れません。落ち込んでいる自分に対する、そんな中で世間の風当たりや他人の冷たさを感じたりしたら、自分に対する自信をますます失ってしまいます。
目次
アドラーの「目的論」に当てはめる
アドラー心理学は、目的論でも書いた通り、「~だから~」のロジックは否定します。だから、「自分が嫌い」だから、人と接することができない、挑戦ができない、外へ出られない・・・ではなく、むしろ、「自分が嫌い」という症状を使って、人と接することをしない、挑戦しない、外へ出ないの目的を遂行しています。
そんなバカなと思うかもしれません。そうなんです。アドラーの目的論は結構厳しいんです。
「自分が嫌い」であれば、あるほど、人と接しない理由にもなるし、挑戦しない理由にもなるし、外へ出ない理由にもなってくれます。変化をしない自分をOKとしてくれます。そして、『もし』、自分のことを受け入れ、好きになれたら、それらのこと(本当はそうした方がいいと思っている、外へ出たり、人と接したりすること)はできるようになると思っています。「嫌われる勇気」(岸見一郎著、ダイヤモンド社)の中では、この「もし~がなくなれば、」とか「もし~なら」を『可能性の中に生きること』と表現しています。
歌を歌いたかったある人のストーリー
ある人は、歌を歌いたいと思っていました。ずっと、歌を歌うことに情熱を抱いていました。仕事は非常にストレスが多く、楽しめませんでした。でも、つまらない仕事と文句を言いながら、真面目に働き、休日は、ずっと一人で家にこもっていました。その時、友人から、歌が歌いたいならクワイアに加わらないかと誘ってきました。そこは100人規模のコミュニティで、月に2回くらいゴスペルを歌ったり、合唱を歌ったりしていました。
でも、彼は参加しませんでした。自分がずっとしたいと言っていたことなのに、いざ、チャンスが来ても、あっけなく手放してしまったのです。
彼は「自分が嫌い」でした。歌が歌えないで、大嫌いな仕事をし続けている自分が嫌いでした。いつも鬱ぎ込んで、一人で家で引きこもっていました。でもそれは、同時に、彼が本当の自分と向き合わなくてもいいということにおいては、好都合でした。本当は、こういう仕事をしたい、歌も歌いたい、もっと人と関わりたい・・・でも、それをする勇気がなかったのです。
歌を歌うというチャンスに乗ってしまうことは、「そうなったらいいな」とずっと思っていた夢の世界に飛び込むことです。でも、夢の世界を現実の世界に変えてしまうことはリスクが伴います。
なぜなら、夢の世界は、現実になった途端、自分が思い描いた通りにいくとは限らないからです。もしかしたら、もっといい仕事に就けないかもしれない、歌にずっと憧れていたけれど、やってみたら、そこまで情熱がわかないかもしれない、人と関わったら傷つけられるかもしれない・・・現実の世界はいつでも答えが出てきます。現実の世界は、「暑い」のか「寒い」のか、「柔らかい」のか「硬い」のか、全部はっきりしています。もう、夢の中のイメージ通りにいきません。
だから、誘いにのることは彼にとっては不都合でした。むしろ可能性の中に留まって、「自分が仕事さえ変えれば」とか、「歌さえ始めれば」とか、「友達とさえ関われば」、いつでも状況は変えられると思っていた方が楽だったのです。
でも、この思いを続けている限り、彼はいつまでたっても「自分が嫌い」から脱却できないし、「自分が嫌い」な現実も変えられませんでした。
頭の中の「思い」を少しずつ「現実」へ
人は、いつも変わりたい、変わりたいと言います。「こういう人生にしたい」「こんな毎日を過ごしたい」「この状況から抜け出したい」と言います。でも、本当にそれをするためには、思いを少しずつ現実に移していく作業が必要です。
何もかも一気に変えようとすると、風当たりが強く、リスクも高まります。今日明日にすべてを180度変えるのではなく、大切なのは、可能性の中に留まっている限り、「変化はない」ことを認めること、そして、「自分が嫌い」なままで幸せはいつまでもやってこないと知ることです。そして、その次に、多少傷ついても、失敗することを恐れず、現実世界に飛び込むことです。
頭の中の思いは、いつまでたっても、それを現実にしない限り、一生思いのままです。どこの誰もその思いに気づきません。思いは外に出して、現実にしてはじめて、色を持ち、味を持ち始めます。
無理やり自分を好きになろうとするのではなく、まずは、自分がまだ「可能性の中に留まっている」ことを一つや二つ、取り出してみて、まずは小さな一歩、それを現実世界に出すために何ができるかを考えて、実行してみる。そしてその結果がどうであろうが、受け入れる。そこには、たとえ失敗したっていい、傷つけられたっていいという勇気を持ち合わせます。
人が生きている以上、失敗しないこともありえないし、誰かを傷つけないこともありえない。自分がどう思おうが、人は結局、みんなどこかでは、お互いに失敗しあって、傷つけあっているんです。全員を喜ばせることなんてできないし、全員の思い通りにすることもできません。完璧なんてこの世に存在しないのです。
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